カテゴリー「 人として生きたい!」の記事

2019年6月21日 (金)

飲酒とインモラル

   
飲酒しての、運転行為が厳罰化された様に、
飲酒しての、犯罪行為への厳罰化を望みます。
それ以上に、愛飲の人々の他者啓発を願います。

 
    
『 お酒の文化 』
   
お酒は、楽しい文化です。
お酒は、人の心を解きほぐし、人と人との距離を縮めてくれる、とても素敵な飲み物です。
      
しかし、お酒で他の人に迷惑を掛けてはいけません。
お酒で、認知や判断、行動に悪影響が出る事は、飲酒運転に限らずよく知られている事です。
そして、お酒で他の人に迷惑を掛けている事が多い事、見て見ぬふりをしてはいけません。
   

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『 酒気帯びのインモラル 』
   
今や、航空機や新幹線を始めとして、僅かな酒気帯びでも運転に就く事が禁止されています。
そこには、酒気帯びは他者に損害を与える可能性が高いという、インモラルの社会的認識があるからです。
   
そして、酒気帯びのインモラルは、運転の時だけにある訳ではありません。
傷害や恐喝、器物破損や威力業務妨害、そして DV や性暴力なども、酒気帯びにより増幅されるインモラルです。
    
が、大変に残念な事に、「酒席での事だから」とか「酔っていたから」等の弁明がまかり通っています。
けれども、インモラル被害を受けている人々の苦しみから、決して目をそむけてはいけません。
    
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『 インモラル抑止のために 』

  
酒気帯び状態で犯罪行為をした場合には、適応される犯罪刑罰を厳しくするべきです。
これは、既に飲酒運転事故への厳罰化と同じ様に、社会的な賛同は得られるでしょう。
   
しかし、厳罰化で 抑止する方法が一番だとは、決して思ってはいません。
一番は、お酒の文化を愛し、他者へのモラルに配慮できる人々が、他者のインモラル行為を抑止する事です。
   
何故なら、酒気帯びによる社会的インモラル行為によって、お酒文化が社会的抑圧に晒されるからです。
それは、タバコ喫煙の世界で起きている事ですし、私の好きなオートバイ世界で起きてしまった事です。
   
どうか、お酒飲む本人以外、酒気帯び犯罪行為によって、数多くの人々が苦しんでいる事に目を向けましょう。
どうか、他者の人生を守る配慮と努力の中に、自身が愉しむ道が続く事に目を向けませんか。
   

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2019年2月15日 (金)

Born to Create

      
人は誰も、その人だけの創造する為、生まれる。
だから僕も、僕にしかできない創造をしたい。

食事と栄養が、人の身体の質を決めるように、
受けた刺激や興奮が、僕の創造物の質を決める。

運動の継続が、人の身体を鍛えるように、
創造の継続が、僕の創造物を鍛え育てる。

だから、良い刺激と興奮を受けながら、創造を続けたい。
やがて、眠りの時が来るまで。
    Img1_web1000 Everyone is born to create that person alone.
So I'd like to create creations that I can only do.

As the food determine the quality of the human body,
the stimulation I receive determine the quality of my creation.

As continuation of exercise strengthens human body,
continuation of creation will cultivate my creations.

So I want to continue creation while receiving good stimulation.
until the time when sleep comes.

   
   
   
   
 
僕は、僕にしか出来ない創造をしてきた!
誰にも真似は出来ない! と信じた時もあった。

でも、ふと気付いて、後ろを振り返れば、
何も残っていない。深い虚無感に襲われる。

血反吐を吐くほど、打ち込んだわけでなく、
露頭に迷うほど、生活全て賭けたわけでもない。
 
そんなお前だから、何も創れないのさ!
僕を責める言葉、僕が言う。

Img2_web1000 I have done creation that I can only do!
I believed that nobody could imitate it.

But, looking back, there is nothing left.
I get struck by deep emptiness.

I did not impossibly to exhale blood stasis,
I did not spend all of my life on creation.

Because you are such a person you can not create anything!
The word that blames me, I say.
   
   
   
   
   
よく人は、教育が人生を決めると言う。
よく人は、お金で人生は決まると言う。

けれど、豊富に知識やお金があったとして、
見せびらかすよに、浪費する人生が素敵と思えない。

人生の目的が、創造する事であるならば、
人生の価値は、その人の魂と創造物で決まる筈。

人は創造するゆえ、人類文明が築かれた。
せめて僕も、砂一粒の創造物を遺したい。 
   Img3_web1000 People say that education decides life.
People say that life is decided by money.

However, as there were abundant knowledge and money,
I can not think that the life that wastes them is wonderful.

If the purpose of life is to create,
The value of life depends on the soul and creation.

A person created, the human civilization was built.
At least, I'd like to leave a creation of a drop of sand, too.
 
 
    

    

2019年2月10日 (日)

ボランティア、 嫌い

      
最初に、無駄な誤解を与えないために、題名の意図を説明する。
ボランティアをしている人々や、ボランティア行為が嫌いなのではない。
「 ボランティア 」の言葉に含まれる矛盾が嫌いなのだ。
 
 

『 ボランティアの意味 』

「 ボランティア 」( 英語 : Volunteer )は、もともとは徴集兵の「 Drafts 」とは対極の意味で、十字軍軍遠征時の 自発的な「 志願兵 」を示す言葉として始まり、現在では個人かグループが、自発的に、無報酬で、個人や団体等に対して行なう社会的な奉仕活動の事を指す。
   
つまり、自発的に、無報酬で、社会的な活動を行なう事が「 ボランティア 」行為だ。
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『 ボランディアの矛盾 』

一般的な理解だと、障害を持った人々の生活介護などの他に、災害現場などへ出向き、被害を受けた家財道具の清掃・修理をしたり、避難所での一時的な生活を余儀なくされている方々の食事を提供したりトイレ整備などが「 ボランティア 」として使われているようだ。
   
では、そういう肉体的活動ではなく、歌や演奏で慰問的活動をする人達はどうだろうか? 生活に困っている人々の為に食品や生活用品を送っている人達は?  外出はせずに義援金を常に送金している人達は「ボランティア」でないのか?
   
自発的に、無報酬で行なう社会的な活動が「 ボランティア 」であれば、上に挙げた人達も全てボランティアと言えるだろう。
 
 
『 日常生活とボランティア 』

私達が生きている “ 社会 ” は、私達が共に協力し合って作るもの。
そういう意味で、日常生活の中で困っている人が目の前に居たら、自発的に無報酬で、何等かの行為を行なう事は人の務めだ。
   
また、困っている人に対してだけでなく、自身や周囲の人々などに損害を与える可能性の高い行為をしている人が居れば、自発的に、無報酬で、サポートする行為も務めの一つだろう。
   
だから、日常生活での人としての務めに焦点を当てず、障害を持った人々や被災地の人々に対する行為だけを「 ボランティア 」だとすれば、僕は「 ボランティア 」という言葉が嫌いなのだ。 
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『 ボランティアって何? 』

社会的な活動に、僕は小さい頃から興味は強かった。
地域で行なう社会的活動を除けば、中学校時代に手話を覚えて、大学時代以降に出会った “ ろう者 ” の人達とは50音と簡単な手話で会話をしてきた。
20代後半には、休日の暇を持て余して、福祉事務所へ出向き、生まれつき車椅子生活をしている女性と知り合い、彼女の社会的な活動に合わせて、日本全国各地で開催される会合に付き添って移動を助け、女子トイレにも一緒に入ったし、ノルウェーへの9日間の旅にも同行するなど、「友達」として付き添う生活を約2年間してきた。
そんな彼女のお蔭で、全国各地の身体的な障害を持った人々とも多く知り合い、その人達とも旅に同行するなど、「友達」としてお付き合いもしてきた。
   
1995年1月、阪神・淡路大地震で自宅が全壊扱いになった際には、近所の人々に助けられ助ける生活が当たり前だったし、2011年3月の 大地震の際には、生まれ故郷が被災した友達数名を通じてお金を支援したのも当たり前だった。
   
でも、僕は一度も「 ボランティア 」だとは思わなかったし、今も思わない。
 
 

『 日常生活の当たり前 』

見て判別できる障害を持った人々や被災地の人々に対する慈善的行為だけを取り上げて「 ボランティア 」と表現する事が誤りを招いている。
   
日常生活の中で、目には見えない障害を持っている人々に出会う機会や、被災地ではないけど生活に困窮している人々に出会う機会は、誰でも多くあるもの。
また、自身や周囲の誰かに損害を与える可能性のある行為に出会う機会もある。
そういう機会を捉えて、可能な範囲で、社会の為に、自発的・無報酬の行為をするのを務めとして、社会に住む人達が行動するのが “ 当たり前の社会生活 ” でしょう。
   
仮に、日常生活の中のそういう機会に一切目を向けず、「 ボランティア 」と認められる特別な行為だけに注力するとすれば、決して悪い事では無いけど、とても偽善的に見える。
 
だから、「 ボランティア 」という言葉が嫌いだ。
 
   
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2019年2月 7日 (木)

マークシート世代

      
古代の試験方法は知らないけれど ・・
僕が学生時代の時には、“ マークシート ” 方式の試験解答は無かった。
だから、“ マークシート ” 方式には慣れていない。
   
役所手続きなどで “ マークシート ” 記入を求められると、
「 こんなに小さい四角枠を塗りつぶして意味があるの ?? 」
などと 小さな抵抗をしてしまうのだ。
              Img_1_web1000  
   
『 世の中の変化 』

普及した理由はわかる。
技術の進歩と集計・管理効率の向上を求めた結果が “ マークシート  ” 方式だ。
   
子供の頃には 扇風機 と 団扇(うちわ)しか無かったけど、
今では エアコン があるのが普通になっている普通だから、
“ マークシート ” 方式が普通になっていても驚かない。
   
でも、違和感というか抵抗感が残っている。
 
   
   
『 割り切れない想い 』

「 小さな四角い枠、幾つかある中から一つ選び、黒く塗りつぶす 」
   
小さい頃からこの方式に慣れる事を求められ、
その結果で成績の優劣が決まり、進学先や就職先が決まる。
   
慣れた方式で、「いいね」を押したり、「友達」を決める。
そうして、結婚相手を決めて、住む家も決める。
全て、目の前にある “ 選択肢 ” から選んで決める人生でよいのか。
 
 
 

『 人の想い 』

“ 人の想い ” は、例え同じ “ 選択肢 ” であっても、人それぞれ違う。人によってはどれでもよい事でも、選択に深く考え悩む人だっている。
   
“ 人の想い ” は 枠には収まりきらないもの、と誰もが知っているのに、マークシート選択だけで “ 人 ” が判定される事に違和感を持たない。そして、“ 人の想い ” を尊重しない社会を当たり前になるのか ?
   
いや! マークシートだけの責任ではないだろう。
単純に、「 賛成 」「 反対 」だけで決めるシステムの責任も同じだ。
選挙でさえ “ 人の想い ” を受け止められるシステムにはなっていない。
   

そんなシステムの偏重だけで法律が生まれ、法律によって人生を奪われる人がいる事は忘れてはいけない。
だから、国や行政は変えられなくても、身の周りの事だけは、“ 人の想い ” と “ 人の想い ” の混じり合いを大切にして生きたいものだ。
 
    
    

    

2019年1月19日 (土)

モラル・コラム用草稿文・『デートドライブ 黒尾峠 』(後編)

      
先日依頼をしました、新コラム『 マナーより、ルールより、モラルを 』(仮称)用の文章・「 デートドライブ、黒尾峠での出来事」の 「前編」に対してご意見や指摘を下さった方々へ、この場を借りてお礼の気持ちを伝えます。

ありがとうございました。
どうぞ、今後共によろしくお願いします。

今回は、「 後編 」の草稿文章を公開しますので、改めて誤字や脱字、校正などの指摘をお願いします。


* * * 以下、「 後編 」 * * *

 
『 心なき者 』

誰でも好奇心はある。
特に、非日常的な出来事に対しては異常な程に興味が湧くものだ。
ただ、非日常的な場面に面した時にこそ“人間性”が見えてくる。
   
野次馬達は遠巻きに眺め、パトカーが到着しても解決が進まない様子を見て、苛立ちまぎれに思っていた事を口に出したのだろう。
少なくとも10分以上見物していて、困っている様子を確認していたのなら、僕の代わりに怪我して意識の無い人を運んでよい筈だった。
でも、当時の僕は若く、そんな事を考える余裕は一切無かった。

「 トランクを壊すより、もっと良い方法があるはず 」

考え抜いて、リアウィンドウの下、リアシートの後のリアシャルフボードを室内側から壊して、そこからトランクの中へ手を伸ばしてキーを取り戻した。
   
病院までの道をパトカー先導で走り抜き、負傷した人と同じ血液型だったので献血を申し出た彼女を自宅まで送り届け、僕も自宅に帰り、長い午後の一日は終わった。Img2_web1000

   
『 忘れられない、母の一言 』

翌日、車の掃除をした。
多少の血は覚悟していたけど、リアシートのマット上には厚さ 2㎝ほどの血溜まりが固まり、外して水洗いしたリアシートからは、さほど汚れていないように見えたが、いくら洗っても血が流れ出てきた。出血量は 2L以上あったのだろう。
   
そして、そんな様子を傍で観ていた母に、昨日あった事を一つひとつ説明していた時、急に母が吐き捨てるように言った言葉が今でも忘れられない。

  「 同県人だろ、だなんて ・・・!! 」

母は、戦時中は鳥取の日本赤十字病院に看護婦として勤務していて、鳥取大震災や空襲も経験したから、怪我人や血には動じないが、何もしようとせずに非難めいた事を言うだけの人には苦く悔しい想いを沢山してきたのだろう。
 
しかし、当時の僕にはなぜ母がそう言ったのか、正しく理解は出来なかった。
後日、警察から表彰とリアシェルフボードの弁済代わりに表彰金を受け、即日、母に報告した時にも、母からは褒め言葉は一切無かった。
   
よほど腹に据えかねる思いがあるのだろう。
決して無口ではないけど、何か大切な事を伝えたいという時になればなる程に、閉じ籠ったように口数が減ってしまう人だった。
 

遺伝子を引き継いだ僕は、その時の母の思いを長い間理解は出来なかった。
でも、人生での経験を重ねて、今ならその気持ちが良く分かる。

 


『 モラルとは育てるもの 』

“モラル”とは、“ 他の人に対して、精神的に、肉体的に、物質的に、そして金銭的に、損害リスクを与えない事 ”だ。
   
それは、画一的に教えられる道徳ではなく、宗教的な教義でもなく、一人ひとりが社会生活の中で考えて実践し、その中で育むべきもの。
そして同時に、大人であれば社会の“モラル”も育む責任を負っていると自覚すべきだ。
   
ただ、野次馬の様に、何もせず非難をするだけの人は、責任を果たそうとしている人の心を傷つけ挫く存在だし、生死にかかわる人が居ても、責任を負う事もしない無責任の人でしかない。
だから、そういうモラルに反する行為はしないように!と、自分自身の教訓にして生きていくのは決して悪くはない。
しかし、それだけでは足りない。
   
そもそも、「他の人の迷惑になる事はしない」のは当たり前の事。
しかし、そう思っていても常に出来るとは限らない事は誰もが自覚している事だ。思っていても出来ていない場合や、気付かず出来ていない場合には、周りの人が注意や指摘をしてサポートするのも当たり前の事だ。
まして、それが人の生死に関する事、“モラル”に反する事であれば、何らかの注意を促したり指摘をする事は、社会のモラルを育てる事に他ならないのだ。
他の人に注意を促さず、見て見ぬふりをするのであれば、それも“ モラル ”に反していると言える。
   
ただ、それは簡単に出来るものではない。
事故の現場で、他人の生死や損害を無視した“モラル”に反した言動を目にしたとしても、その時に注意を促すのは容易な事ではないからだ。
だから、小さな事から注意や指摘を始めて、他の人への伝え方を磨いてこそ、本当に大切な場面で、他の人の“モラル”を呼び起こせる能力が身につくものだ。
 
実は、そういう過程を通じていった時に、自分自身の中の“モラル”を育て上げていく事に繋がっている事も実感できるものだ。
40年遅れになったけど、あの時、今の僕なら、停車していた人、そしてパトカーで来た警官の人たちに、こう言っただろう。
   
  「 この人は出血がひどく、一刻も早く病院へ搬送する必要があります 」
  「 この人の命のため、あなた車で運んでもらえませんか 」

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『 GRA発足の目的には 』

ジムカーナという競技が好きで、後悔から自らその競技を楽しむ場を作るため、GRAという団体を発足させましたが、発足させた意図の中に“参加者個人が果たすべき責任”を一緒に共有する事を浸透させる思いも含めていました。
   
当時、オートバイに乗る事は社会悪の一つである様に言われ、実際、新規会場を借り受けるべく交渉に赴いた際、「危ない」「騒音が大きい」の言葉が断りの常套句として返って来たものです。
オートバイは危険なモノ、オートバイはうるさいモノ、オートバイ乗りは危ない運転をする、等の認識が先行して、活動が単なる趣味や遊びではなく、社会的に価値がある事を訴えても、賛同してもらえないのです。
   
社会にそういう認識を与えてしまったのは、オートバイに乗るライダー自身の振る舞いが原因である事は多くのライダーは認識しているにも関わらず、自身が社会に迷惑を掛けない事だけに注意を払い、友人のライダーや他のライダーがモラルに反して、騒音をまき散らす改造や運転をしたり、無理なすり抜けや追い越しなど、他者にリスクを与える運転をしている場面に遭遇しても、一切、注意を促す行為をしてこなかった事も原因だと言えるからです。
   
GRAを発足させた理由は、自分自身がいつまでもオートバイを楽しみたいのなら、周囲の人の理解を深める努力を惜しまず、その環境を壊す行為があれば注意を促すのは当然の事と捉える考えや行動を拡げる事にもありました。
   
しかし、私自身、その狙いを適切な対民で伝える能力に欠けていた為、過去のGRAの活動では、他者の振る舞いに注意を払い、必要な時には適切な言葉で注意を促す人はさほど輩出できなかったと感じています。
   
だからこそ、その経験を積んだ今こそ、より多くの人・ライダーへ人としてのモラルを伝え、環境と人を育む活動に専心していきたいと考えています。
   
                                        NPO法人GRA 代表理事   小林 裕之


    
    

    

2018年12月16日 (日)

誇りある世代、 そして20年後の世代は?

   
今日、日曜日、駐輪場管理で働く男性を見た。
車両を確認して、外から飛んできているゴミも回収していた。
年齢は 60代後半から 70代だろう。
   
彼に限らす、その年代の人達は社会の中で存在感を放っている。 ビルやマンションの管理人、料金所の窓口担当者、公園などの清掃員、交通整理用ガードマンなど、社会の至る所で見かける。
   
これは「無意識の偏見」かも知れないが、彼らは一様に “ 誇り ” を持って働いていらしゃる様に見える。
手を抜く事をせず、黙々と任された仕事をする事に誇りも感じる世代の様に見受けられる。
   
それは、高度成長時代と言われる 1960年代に職に就き、黙々と働き続けた世代の人達だからだろう。
仕事に真正面から取り組み、寝食や家庭を振り向かなかったとしても美徳である様にも受け取られていた世代だ。

   

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では、これから 20年後はどうなっているだろうか?
価値観の多様性、個人の尊重を学ばされ、制限の就業時間を守らされる様に変化した 現在の 中堅世代(40~50歳代)が 60~70歳代になっている頃だ。
   
少なくとも、“ 匠 ” として称賛されている 現在の 60~70歳代の様な人は少なくなっているだろう。
確かに、現在の その年代の人達は “ 誇り ” を持っているが故に、時として自身の価値観を押し付け曲げない面もある。
   
が、時間を忘れて仕事に没頭する事を許されず、自身の価値観を他人に伝える事も許されず、ハラスメント扱いを恐れて軽口や肩に手を置く行為も出来ず、下の年代世代との交流の機会も減り、仕事だけで尊敬され一目置かれる機会も減った世代だ。

   Img1_web800_2    
20年後、IoTの深化が進み、AI が 社会の様々なサービス(監視も含め)を担う中、彼らはどこに行くのだろう?
欧米の様な厚い年金制度は望むべくもなく、生活費や医療費、の捻出機会を求めるだろう彼らは、社会のどこに行くのだろうか?
   
それを見極める事が 僕自身の生きる道の参考になる。

 
 
 

2018年11月10日 (土)

真の豊かさ

 
真の豊かさについて考えた。
金銭やモノの豊かさと考える人もいるだろう。
友達や知識・情報の豊かさを大切だと考える人も。
 
確かにそれらには抗し難い魅力と説得力がある。
でも、僕はそれとは違う豊かさに興味がある。
それは心だ。
   
いつも一番近くに居て、最後まで離れられないのが心だ。
お金やモノで満たされても、心の寂しさを慰めるだけ。
心を満たす本質は自身の心の豊かさだと思う。
   
時として人は、他人への振る舞いで心を評価し、
時には友達や知識の多さで心の豊かさを測るけど、
それは他人評価であって、自己評価ではない。
   
例え、自己中心、自分勝手、わがまま と言われても、
他人評価に身を委ねては心の豊かさから離れてしまう。
難しいだろうが、真の豊かさを目指したい。

 
 
 

2018年10月15日 (月)

大阪市中央公会堂からの帰り道のアンモラル

   
『 大阪市中央公会堂 』
   
月に一回のペースで開催しているイベント・『 話すオートバイ講座 』の為、先日(10/13)大阪市中央公会堂へ行ってきた。
 
この大阪市中央公会堂は、ご存知の人も多いと思うけど、100年以上前に造られたネオルネッサンス様式の建物で、美しい外観や内部意匠、歴史的重要性から国の重要文化財に指定されている建物だ。
ただ、重要文化財といっても市民利用に開かれた運用されていて、講演や集会、会議など用に活用され、最近ではブライダル用途によく利用されている。
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『 帰り道でのアンモラル 』
   
イベント終了後、夜、帰り道で出会ったアンモラルを紹介する。
   
大阪市中央公会堂を出た直後、建物に面した歩道(公道)の上、幅3m弱の歩道の上に 3トンワイドボディのアルミバン(トラック)が駐車していた。
歩道の殆どを塞ぐ様に停められていたトラックは ブライダル業者が器材の搬出用に使っている様で、黒いスーツで身を固めた若者達が忙しそうに積み込みをしていたが、これはダメでしょう。
歩道に残されたスペースは 90㎝も無く、車椅子の人が通行できない。
その上、歩道に残されたスペースさえ塞ぐ様に、黒いパンツスーツを着た20代半ばの女性が機材積み込み指示の為か、歩く人の存在を無視する様に背を向けて立っていた。
 
 
『 その女性の言葉 』

そのトラックの停め方と搬出指定場所以外での作業により、多くの人に不利益を与えているので無視はできない。早速、歩道を塞いでいる女性に、「 歩道にこんな停め方していると迷惑だよ 」と声を掛けた。
   
すると女性、残り少なくなった歩道上で身体を半身に回転させて言った。
「 さあ、通って 」と。
   
信じられない。
道路交通法違反行為によって他者に迷惑を掛け続けている事を省みず、文句を言った者(文句ではないが)だけに対処するなんて。
そこで、改めて違法と迷惑行為を指摘すると、アンモラルを上塗りする言葉を返してきた。
「 使用許可は取っていますので 」と。
   
救いがたい人だ。
使用許可の条件や 許可された場合に行なうべき要件には明らかに反している。
「 下手な嘘をつくなよ 」と諭すと、その女性、そっぽを向いて離れて行った。
近くて搬出作業をしていた2~3名の黒スーツ姿の男性から 「 どうもすみません 」と謝られたが、トラックはそのまま、作業は続いている。
   
少なくとも法人名義で仕事をする限りは、社会的な責任を十分に配慮しなくてはならない。
しかもブライダル業ならば、晴れの日を汚し新郎新婦の信任を裏切る行為をするべきではないし、施設側の指示にも背いて同施設への信頼も汚す行為をしてはならないだろう。
 
 
『 大阪市注公会堂側の対応 』
   
最初は半分あきらめで帰路についたが、やはり放っておけないと考え、大阪市中央公会堂へと引き返した。せめて、そのブライダル業者名を聞き出し、業者の管理責任者に直接注意を促すためだ。
   
最初に窓口で対応してくれた女性は思慮に欠ける対応だった。
「 個人情報なのでお教えする事はできません 」
   
どういう状況で窓口に来ているのかを確認せず、ただ面倒なのか。勤務している施設の信頼に関わる用件なのに哀しいね。それに言葉の勉強が必要だ。個人情報保護法の対象となる案件ではない。
それでも彼女は少し賢かった。重ねて用件を伝えると、年配の男性を呼び出してくれた。
   
現れた男性は用件を聞くと、直ぐに現場の歩道へと行き、担当者への聞き取りと指示を行なってくれたようだ。
彼は管理事務所に戻り次第、「 業者の担当者には直ぐに移動する様に指示をしたので、間もなく移動すると思います 」と回答をしてくれた。
   
聡明で迅速な彼ならば、同施設の利用者だけでなく、歩道利用者に迷惑を与える行為を排除してくれるだろうし、迷惑を省みない者の施設利用にも制御してくれるだろう。
何しろ重要文化財の管理委託をされている会社の責任者であれば、設備の管理だけでなく、施設の名誉と信頼を守るのも仕事だからだ。
   
期待していますよ。

 

 

2018年6月11日 (月)

車の女 ( 省みない人たち )

   
雨がそぼろ降る、夕方の歩道を歩いていると
それが居た。
 
 
【 歩道の女 】

正確に言えば、歩道の上の車の中の女だ。
交通量の少ない、幅員9mの 市街地道路の横
幅 1.5mの歩道の上に、
片輪だけ車道に残して、
その女の車が駐車していた。
   
歩くスペースは 30㎝ ほどしか残っていない。
多くの歩行者達は、車を避けて、車道を歩いている。
   
しかも、よく見れば 右側駐車。
わざわざ 対向車線側の歩道の上に駐車している。
   
車内でスマホをいじっている女は 20歳前半、
身長は 150㎝ 少々、服装も化粧も普通の女性に見える。
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【 女の反応 】

二つの法律違反の現行犯だが、
歩行者の立場では、歩道上の駐停車が迷惑だから言った。

「 迷惑だ 」
「 どかしなさい! 」と

すると、注意された事に驚いたのか ?
法律違反も迷惑行為も一切意識していないのか?
女が発した言葉は

「 なんで、そんな言い方をするのですか? 」

理性的な言葉だが、あきらかに怒りの感情が籠っていた。
 
注意された事には一切気を留めず、
話す為に開けていた窓をすぐに閉め、
返す手でドアロックを掛け、
外で立ちつくす僕にスマホを向けた。
そう、カメラで撮影するアングルだ。
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【 省みない人達 】

他人への迷惑を省みない人は居るもの。
例え注意されても謝らないばかりか、逆切れする人も居る。
   
しかし、かと言って、無視する人も考えものだ。
注意はおろか、まるで見なかった様に通り過ぎる歩行者たち。
車椅子や視力が衰えた人にとっては危険と言える行為にも、
一切無関心の様に振る舞う人達。
   
将来の自分自身や眼や脚が衰えた両親や人々の存在を考えれば、
将来のあるべき社会を創るのは今を生きる人々の責任だから、
せめて、違反車両にスマホを向けるぐらいはすべきだろう。

 
 

 

2017年7月28日 (金)

「 横断歩道 」

   
駅に向かい歩いていると、駅間近にある信号機の無い横断歩道で、
年齢 80歳前後、高齢のご夫婦らしき二人が立ち留まり続けていた。

見れば、女性の方が歩行器を使っての歩行なので、
なかなか渡るタイミングが取れずにいる様子だった。
 
そこで、先に横断歩道の半ばまで歩き、走る車を止め、
二人に横断を促した。

    Img_2web800  
しかし、歩行器があるとはいえ、その歩みは遅い。
時速 1㎞以下では 全長 20m程の横断歩道は長過ぎる。
 
それを見て、止まっていた車が直前をすり抜けようとした。
年齢50歳位の女性が運転するベンツを、両腕広げて制止した。
   
道路交通法で「徐行」または「停止」の義務になっている以上に、
他者の人生に与えるリスクのある行為はモラル違反だ。
 
とかく運転者は、「法律だから止まる」以上の意識は無いようだ。
中には 「止まってあげた」という慈善的意識の人もいるようだ。
 
横断歩道は、歩行や聴覚・視覚等に機能障害を抱えた人も通る道。
そんな人達にとって、横断歩道は事故に遭遇するリスクの高い道。
   
一方、運転者にはそれに相当する程のリスクは無い場所だ。
他者の人生へのリスクを考えられない者は運転すべきではない。

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