カテゴリー「ニュース」の記事

ネット参加申し込み、再開しました !

 
開催イベントへの参加申し込みを、ネットを通じて行なえるようになりました。
   
この「 ネット・参加申込みフォーム 」を利用すれば、“ 習いたい事 ” への記入(チェック)で、 “ 走行・ライディング練習 ” だけでなく、“ 基本的な整備 ” や “ 基本的なセッティング ” 、そして “ 参加車両のチェック依頼 ” 等を事前にリクエストする事ができます。

【 ネット・参加申し込みフォーム 】

http://gra-npo.org/schedule/apply/e_form_apply.html


また、“ やりたい事 ” ( 要望 / わがまま )を事前に伝える記入欄や、“ 見学参加 ” 希望者でも “ 習いたい事 ” の記入欄など、オートバイを楽しく安全に楽しむための要望を叶える工夫をしています。

是非 利用してください。
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「~かな」文化 日本の未来は?

 
いつ頃から始まったか、はっきりと憶えていないが ・・
知らない間に社会に随分と浸透してしまっている様だ。

きっと、多くの人は気付いているが、既に浸食されているのだろう。
そう言っている自分も、きっと毒されているのかも知れない。

日本独自の「~かな」文化の未来はどうなるのか?
心配だ。

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Cx136_l_3 初めてはっきりと違和感を感じたのは、TVでのインタビューだ。
オリンピックの選手が会見の場で発した言葉でだ。

「楽しめたらいいかなと思います」の言葉。

もちろん、“楽しむ”という感覚を持つのは良い事だ。
緊張して委縮するよりも、力を発揮しやすい人も多いだろう。

違和感を感じた部分は「~かな」の部分だ。
随分と曖昧でファジーな表現箇所だ。

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育成過程から遠征まで、税金を使っているからとか、
多くの人の注目を集め、あこがれの対象だから 気になるのではない。

正式な会見で、「~かな」レベルの表現方法をする人物に対して
金銭を含めたサポートをしている団体や企業、個人がいるだ!
・・という違和感だ。

TVの中を見回すと、実に多くの人が「~かな」文化が浸透している。
タレントは勿論の事、一般の方の多くが毒され浸透している。

だから、既に文化の一つとして浸透いるから問題無いと
多くの方は理解して、知らずに(遅れまいと)使っているのだろう。

しかし、自身の意図や意思を表現すべき場合に
「~かな」文化を使うのはどうだろう?

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自身の意思を公表すべき場合でも、よほど自信が無いのか?
よほど相手からの反論が怖く感じているのだろうか?

本来、意思をはっきりと公表すべき総理や政治家たち、
よく見れば「~かな」文化愛好者のようだ。

官僚も同様だ。

先日、TV会見に出ていた 検察庁の新しいトップ・笠間治雄 検事総長は、
特捜部による不正捜査の責任を取って辞任した検事総長の後任だ。

注目の新任挨拶の場で、TVカメラを前にして出た言葉が、
「再発防止策を早急に実行することが私の使命 かな と         」

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Ev120_l 諸外国の方と英語でビジネスをする際に配慮する事の一つ、
「may be」は信用を得られないので使わない。

日本語的発想では、「~だと思います」を表現したつもりでも、
ビジネスの場ではあやふやな表現で禁句だ。

新検事総長の発言は、Net配信ニュースや紙面を確認する限り、
「~かな」の箇所は削除した意訳がなされている。

しかし、諸外国の担当者との丁々発止のビジネスや外交の場で、
「~かな」をうまく削除して話せるだろうか? 翻訳されるだろうか?

Ev199_l もしかすると、近年世界で日本のビジネスや外交がぱっとしないのは、
この「~かな」文化の影響だろうか?

いや! そんな事はないだろう。
日本の外交力の低さは「~かな」文化発祥以前からだ。

自身の意思をはっきりと伝え、考えを明確に伝えるという
技術や意欲が無く、その必要性を感じず、恥じない文化に、
「~かな」が丁度うまくはまり込んだと言うべきだろう。

Ae052_lはっきりと 意思や決意を示す時も「~かな」表現で、 大丈夫か?
   
この国、日本

 

   

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ドーム、 東京ローカル用語の氾濫だ!

   
残念な事に、マスコミ各社は本社を東京に置いているようだ。

さらに残念な事に、東京ローカルな人は日本の中心に居ると信じている。

例え全国放送の場面であっても、東京ローカルな事を全国基準として扱う。

そんな場面は氾濫しているが、その代表例の一つが「東京ドーム」だ。

何かの施設の広さや大きさを表す時に、「東京ドーム何個分」と平気で言う。

まるで、日本全国の人が「東京ドーム」を観た事があるかのようだ。

例え東京都民であっても、23区以外の人では知らない人も居るだろうに。

サッカー場とか、陸上競技用トラック、テニスコートを使えばよいのに、

諸外国に配信されている国内ニュースは、ローカル訛りまる出しだ。

   *   *  *  *

私はオートバイが好きで、ずっと昔から オートバイ雑誌を読んでいる。

しかし、残念な事にオートバイローカルな言葉を平気で使うのが一般的だ。

更に残念な事に、好き者ライダーはオートバイローカルにはまりこんでいる。

時にはローカルエリアのみで通じる言葉や表現方法に陶酔している。

   *  *  *  *

気をつけなくてはならない!

「東京ドーム」を聞く度に、自分自身の言動をチェックしなくては!

社会全般の人に分かる表現や、興味を持ってもらう表現方法をしなくては。

「東京ドーム」「東京ドーム」

いやいや! 来年辺りは 「東京スカイツリー」だろうな!
   
   
                         *  *  「東京ドーム」 探しゲーム ♪  *  *
   
                                どれが 「東京ドーム」でしょう?
          
                           (画像をカーソルを乗せると正解が分かります♪)
                                     (画像は、すべて公式サイトの画像です)
       
Namihaya_2
        Sapporo_2
      
Seibu
   
Tokyo
                   
Yahoo_2
               
            

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将来のため、11月 岡山へ行きませんか?


5年後、10年後も  オートバイと一緒の生活を楽しみたいと考えているあなたへ提案します。

その未来を確かめるために、11月6日、7日、岡山へ行ってみませんか?

実は、岡山の美作市の主催で、 『 エコロジカーフェスティバル 』 が 岡山国際サーキットで開催されるのです。
その『 エコロジカー 』 には 様々な形態の 電気自動車などが展示され、同乗走行もあるようですが、一番の白眉なのが
【 エリーカ 】 の 展示と走行 がある事です。

Dp189_l エリーカは、2004年、慶應義塾大学を中心に多くの企業が協力して作られた 8輪駆動の5人乗り乗用車で、快適な 居住性 と 最高370 km/h を記録した高度の性能と 環境性能を両立させた車両です。

既に先行製作車は ナンバープレートを付けて走行を行なっていて、数年以内には 市販できるように開発が続けられている車両ですが、間近で見れば オートバイの未来も確認できると考えています。

11月7日(日)には、出展された 車両たちを使っての 模擬レースも開催される予定になっているので、私も 岡山国際サーキット へは 10:00 迄には入れるように “自転車” で向かいます ♪♪

興味のある方、さほど遠くでない方は是非この機会を利用してみませんか ?

  <リンク>    「 エコロジカーフェスティバル 」
                    「 エリーカ 」
   

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意識を変えるもの


昨晩は久しぶりに “良いニュース” を TV で観ました。

2010年の ノーベル平和賞の受賞発表 と 併せて発表された声明文には
溜飲を下げました。

  「 すでに経済的にも政治的にも大国である 」
  「 大国であるからには、国際的な批判にも真摯に向き合わなければ
     ならない 」
  「 関係する諸国も、経済的な影響に惑わされる事なく毅然とした態度
     を取らねばならない 」

Aw199_l 中国の人権活動家、あの“天安門事件”
以降民主化を唱え続けている方への
受賞だったが、ノミネートした段階から
ノルウェー に対して外交的な圧力が加えられていたにも関わらず、毅然とした態度での発表だった。

平和賞といえば、以前の受賞者の中には 「アウンサン スーチー」 さん、「 ダライ・ラマ 14世 」 氏、「 ミハイル・ゴルバショフ 」 氏 など錚々とした方々も居たが、今回の 選定 は過去には無かった程に大きな波紋を呼ぶ “ 力 ” を持っている。

これを一つの良い機会にして、大陸の “大国” には、批判や指摘を真摯に受け止めて検討を行なう姿勢へと改めていって欲しい。

しかし、それ以上に、ほんの僅かな “パワーハラスメント” や “いじめ” を受けただけで、発言や態度をしどろもどろになってしまう 日本の国民性が変化するきっかけになる事を願っている。

首長の言動がお粗末なのではなく、国民自体のレベルがその程度である事に目を向ける事が何よりも必要だからだ。

いずれ10年以内には、“大国” は 経済的覇権争いや 資源確保争い、通過安競争 への加担姿勢は大きく改めざるを得なくなる事態が来るだろう。
しかし、日本には変わるきっかけが見当たらない。

だから、今回の ノーベル賞の受賞式でノルウェーの方々が見せた “毅然とした態度” を日本国民の一人一人が学び、国際社会の中で沈没していかないように努力する必要があるのではないか。

Aw198_l 決して、その翌日に “拘束されていた社員” が 解放されたからと言って何も解決していないし、これからが大変なのです。

毅然とした態度で指摘ができ、それを真摯に受け止める事ができる人になり、周りの人の意識や考え方をより良い方向へと変えていきませんか。

   

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百歳以上“所在不明”報道の不思議


存命が確認されたならば、日本最高齢となるであろう方が“所在不明”との報道があってから一週間ほど経った。

今でこそ当初の様に“所在不明”の報道はされなくなっているが、当初は毎日の様にこの件が報道されていた。
管轄の厚生労働省大臣が国会での質疑に「私共の責任です」と答えると、堰を切ったかの様に全国の主な地方自治体の担当者が毎日の様に“所在不明者”の人数を発表し、「責任を持って確認にあたります」という弁明に追われていた。

果たして、こんな一方的な判断基準でもって報道して良いのだろうか。

At066_l そもそも、何故 どんな基準によって百歳以上の人を対象にする調査になっているのだろうか?
法律的に “百歳以上” という縛りがあるのだろうか?
何故、多くの自治体が“横に倣え”よろしく “百歳以上” での調査発表をしているのであろうか?

年金受給開始年齢の 65歳や、問題視されている“後期高齢者”は 75歳以上という区切りはあるが、百歳以上には何ら法律上の区切りはない筈である。
あるとすれば、各自治体が独自に行なっている“長寿祝い”の区切りが 百歳になっている場合も少なくない程度だ。

それ以上に不思議なのは、行政の責任だけであるかのように報道している姿勢である。

本来、住民には住居地の自治体(役所)へ 「転入」 や 「転出」 の届け出をする責任がある筈である。
それを基にして、年金の手配だけでなく、選挙の際の投票案内や国勢調査がなされるのだから。
つまり、出生に始まり死亡まで、適切な処理・届け出をする責任は行政にあるのではなく、国民・市民の一人一人にあるのだ。

もちろん、以前より人間関係が疎遠となったため、家族や近隣住民に気づかれずに独居老人が孤独死するという例は多くなっているのかも知れない。
しかし、疎遠な人間関係を生んだのは行政の責任だ!と言うのだろうか。

国民が本来果たすべき責任を無視して、「行政が悪い」 「行政が何とかしろ!」という圧力を高めていけば、大きな政府や重い税負担へと容易につながる事は誰でも理解できる事であり、私はそういう方向へと意識や行政が向くのは全く歓迎できない。

それよりも、国民が果たすべき責任を今よりも容易に果たせる仕組み(選択し)を整えたり、責任を果たさなかった際には不利益を負う仕組みを導入するべきだと思う。 

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