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昔乗っていた車両 ( ブロス 編 )

 

学生時代、世の中の「オートバイは不良の乗り物」的な見方に影響されていた事もあって、もっぱらの関心の中心は車で、オートバイはその1/10 も無かった程だった。
 
けれど、1969年発売の国産初の 750㏄空冷4気筒車:CB750には強烈な印象は受けていたので、26歳になって初めて買ったオートバイが4気筒車だったのは当然の事だし、単気筒や2気筒車は買うべきオートバイではない!とさえ思ってさえいた。
    
しかし、4気筒車(Z750GP)でジムカーナ競技に熱中していた頃、そんな考えを大きく変えた出会いがあったのです。
 
 

【 2台合わせたオートバイが!? 】

その頃、一緒に練習をしていた数少ない仲間は二人、150㎝ほどの小柄な女性と210㎝超と背の高い男性でした。

彼らのオートバイは、女性はオンロード車・スパーダ(250㏄)で、男性のは当時最大級のオフロード車、アフリカツイン(750㏄)と、共にホンダの水冷V型2気筒エンジン車だったのですが、試乗させてもらうと、この2台共にとても乗りやすかったのです。
 
当時、僕が乗っていたZ750GPは、ジムカーナ競技で実績を残していた車両のマイナーチェンジ版とは云え、基本設計は古い車両でした。
 
それに比べると、ホンダスパーダは非力な250㏄とは云え軽快なバンクと旋回性、車体の剛性感に感心させられ、一方のアフリカツインでは足付き性こそ最悪だったものの、そのエンジンのトラクションとグリップ感(路面を掴んで力強く前に進む感覚)に感激さえ覚えていたものです。
 
「どちらのオートバイに乗っても、 Z750GPよりも楽しくて仕方無い 」
「2台を合わせたオートバイが作れないか?」
 

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スパーダの小柄で軽快な車体にトラクション感に優れたアフリカツインのV型2気筒エンジンを載せられないか?と考えていたら、それを実現させ た様な車両があったのです。


それは、ホンダ ブロス、水冷V型2気筒エンジンのオートバイでした。 
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【 全くの不人気車 】
   
当時はレーサーレプリカ全盛時代で、国内の各オートバイメーカーからは次から次へと魅力的な新型車が発売されていた中で、ブロスは2輪雑誌の広告で時々見るだけで、路上では殆ど見かけない程に不人気車でした。
   
車体のデザインも色もぱっとせず、たったの2気筒のエンジンのオートバイは、中高年向きのツーリングバイク程度にしか思えず、それまでは全く興味の対象外だったのです。
 
「 でも、検討する価値はあるかも? 」
 
1991年の年末、主要な全国レベルの大会で総合優勝まで何度も付き添ってくれたZ750GPとの別れを決め、そのブロスを実車の試乗も観る事もせず、懇意にしていたカワサキ販売店に新車発注したのでした。
 
 
 
【 実際に乗った感想は 】
   
新車で納入されてから最初の 1000㎞は慣らし期間に決め、平日の夜は近所を、休日は遠距離を走った印象は 「 中高年用ツーリングバイク 」そのものでした。

特に、信号の無い海岸線沿いの緩やかなワインディングロードを、回転数を抑えて走った時の感覚は 「気持ちイイ!」ものでした。
しかし、購入動機はツーリングではない。距離が 1000㎞ に近づいた頃、深夜走り慣れていた六甲山のワインディングへと連れ出し、ブロスのコーナリング能力や特性を確かめてみる事に。
 
登り始めて幾つかコーナーを過ぎ、車体と体調の感触を確かめ、他の通行車両の状態も把握して、さあ! 次の左のブラインドコーナーの立ち上がりでアクセルを大き目に開けてみると 、ブロスは予想に反してセンターラインは無いかの様なラインを描いてくれたのでした。

困った  ・ ・ ・ !
下りではそこそこ安定はしているけど、フロント荷重が抜ける上りでは嫌な癖が出てしまう!

そうして、慣らしが終わると同時に車両の特性を大幅に変更するセットアップ作業が始まったのです。
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【 時代に恵まれて 】

ジムカーナ競技での戦績で言えば、Z750の時にはほぼ全国トップの成績でしたが、ブロスに替えてからは負ける気がしない程に圧倒的なタイム差を残し続けていたのです。
   
その要因は、充分なトルクとトラクション感の優れたエンジン特性、バンク角の大きな車体など、車両として優れた特性があった事は間違いありませんが、それ以外に時代に恵まれていたとも言える要因もあったのです。
 
一つは、交換した前後のサスペンション、特にフロントサスペンションのスプリングが大変に良い製品だったのです。
 
メーカーはオランダのホワイトパワー社(現在は WP)ですが、80年代末、同社が最も活気があった時期で、大変に優れたエンジニアが ブロス用に作り上げたスプリングは、現代では全く見かける事が出来ない程に太い線径(スプリング鋼材)でダンピングが効いた緻密な特性を持っていたのです。
そのお蔭で、通常ではセットが出し難いフロントサスペンションのセットアップが短期間で完了したのです。
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二つ目は、タイヤの変革時期だった事です。
   
中年ツーリング用として販売された当初は バイアスタイヤ(旧来の形式のタイヤ)で発売されたブロスでしたが、販売不振を挽回する為のマイナーチェンジ後の購入した同車は、普及が始まっていた ラジアルタイヤ仕様の設定に変更されていたのです。
   
そのため、スポーツ走行用タイヤとして一気に開発競争が始まったラジアルタイヤの先端モデルを装着し続ける事が出来たのが、当初は 圧倒的な成績を残し続け、その結果、ジムカーナと言えばブロス!? と、全国でブロスが一気に競技車として増殖していった程です。
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しかし、そのタイヤが要因となって、ブロスの輝きが失われていったのです。
 
それは、サーキット用として熾烈な開発競争が繰り広げられた スポーツ走行用ラジアルタイヤですが、レーサーレプリカ車に最適設計がなされる様になったタイヤは、中年ツーリング車には特性がフィットせず、競技の場ではポテンシャルを発揮できなくなったのです。
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そういうタイヤの状況もあって、本番車と練習・スペア車の合わせて2台、8年間使い続けたブロスをやめ、新しい車両へと変更したのでした。
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昔乗っていた車両、 Z750GP 編

   
最初に買ったオートバイが1年落ち400㏄空冷の中古車で、次にやって来たのが同じ400㏄でも水冷の新車、そして次に買ったのが750㏄水冷の新車、しかも1気筒あたり5バルブなどと当時世界最先進の設計を誇ったオートバイでした。

で、その次に買ったオートバイといえば、そんな流れに逆行する選択となったのです。
 
 
【 苦悩するXJ400 】

最初に買ったオートバイ・XJ400は、ジムカーナという競技の世界を僕に教えてくれたけど、その世界ではとてもマイナーな車両でしたし、徐々に限界を伝えてくるようになったのです。
   
当時、ジムカーナ世界で絶対的存在のオートバイはカワサキのZ750FXⅡ(略称:FXⅡ)という車両で、トップカテゴリーの「エキスパート」クラスの参加車両の殆どを占め、“ジムカーナするならFXⅡ”と広く信奉され、とっくに生産終了された同車を多くの愛好者達が中古車を指名買いしていた程でした。
 
それは、当時のジムカーナ競技をリードしていたのが カワサキ(重工業)で、全国各地の販売店を通じて地区選の開催と年に一度の全国大会を開催していた事と大きく関係していたのでした。
 
そんな事情を一切知らずにジムカーナを初めてしまった僕は、ヤマハ車で勝利を重ねる様になり、初めて全国大会に参加する事になって、「全国大会への参加はカワサキ車に限る」の条件を知り、仕方なく友人から借りたオートバイで全国大会に参加したけど、クラス(400㏄以下)優勝には届かなかったのです。
 
心機一転、次の年からジムカーナ本場だった関東地区戦への遠征を始め、愛車・XJ400でクラス優勝を重ねていったのですが、その翌年からトップカテゴリー“エキスパートクラス”へと特別昇格となってしまったのです。
 
エキスパートクラスとは本来、450㏄以上の車両限定で、過去に総合成績の良かった人達があの750㏄車・FXⅡで走っているクラスへと入れられてしまったから、相撲で言えば幕下力士が一足とびに大関に昇進させられた様なものでした。
 
「もう総合優勝を目指すしかない!」と、特別昇進してしまった年は精一杯に頑張ったつもりだったけど、総合優勝にはあと一歩届かない。
 
XJ400に愛着はあるけど、750㏄と400㏄という力の差の他に、長年の酷使と十分でない整備のために車体各部のコンディションも十分ではないので無理もない。(腕前は棚に上げて♪)
 
その上、全国大会にはXJ400で参加出来ないので総合優勝も難しい、と苦悩(?)の結果、「カワサキのオートバイを買おう!」と決意するのでした。
 
 
【 それは、緑色のオートバイ 】
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買うとしたら カワサキの750㏄車両。
でも、他の人が乗っているオートバイには乗りたくないから、FXⅡはパス!。
それに、恰好の良い目立つオートバイに乗りたい。
 
限られた選択肢の中から選んだのが、たまたま知り合いが乗っていたZ750GPというオートバイでした。

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それは、当時主流になりつつあった水冷エンジンや4バルブでもなく、とっくに生産終了していた旧型でしたが、あのFXⅡよりは新しく恰好は良かったのです。

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フレームと車体寸法・重量は実績のあるFXⅡとほぼ共通で、エンジンは当時の量産オートバイとしては世界初となる燃料噴射機構が採用された最新仕様(?)
その上、車体デザインは丸っこいFXⅡとは違い、全体が角張ったデザインで、何よりもその知り合いのオートバイは特別仕様の“緑色”だったのです。
 
「ローソンカラー」とも呼ばれるそれは、車体全体が緑色(ライムグリーン)でタンクに青と白のストライプが入ったもので、地味なオートバイが多かった当時はとても目立つ色だったのです。
(ローソンカラーは、某コンビニの事ではなく、カワサキ車で活躍した有名なレーサーの名前に由来)
 
こうして、新しくやって来たZ750GPと競技の世界を歩む事になり、彼はそれまで知らなかった事をたくさん教えてくれたのでした。
 
 
【 オートバイは教えてくれるモノ 】
 
Z750GPは、ライディング技術(スキル)を磨くための練習の際に、色々な事を話しかけてくれるオートバイでした。
 
XJ400も多くの練習に付き合ってくれたのですが、今ほどに整備をしていなかったせいか、大きな事故を経験しているせいか、どちらかと言えば無口でストイックな性格に変わっていたのを実感しました。
 
「それ以外のオートバイ、FZ750とかに乗って感じなかった?」
 
いや、オートバイとの付き合いも人間と一緒なのです。
破綻(転倒)するかどうかの限界域でトコトン付き合うからこそ、本当に信頼できる奴かどうかが判るものなのです。
そういう意味で、Z750GPは整備の大切さ、セッティングの大切さ、そしてタイヤの使い方まで、とても多くの練習を通じて色々な事を教えてくれたのです。

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買って間もない頃には、電子燃料制御ユニットが外部からの電波ノイズによる誤動作対策が必要になり、一年経つ頃にエンジンの“不整脈”発生で一念発起でエンジン内部(クランク、コンロッドからピストン、バルブガイドまで)のオーバーホールで自宅で行ない、フロントフォークの残ストローク設定による操縦性変更を会得させてくれたのもZ750GPでした。
 
そして、何よりもタイヤの構造や配合変更によって操縦特性に大きな違いが出る事を学ばせてくれたのも、タイヤを積極的に滑らせて走る方法を覚えさせてくれたのもZ750GPでした。
   
お蔭で、きちんと練習すると、新品タイヤでも 200 ㎞程度しかもたない事も覚えました。
 
 
【 蜜月時代の終わり 】
 
そんな風に、Z750GPとの付き合いのお蔭もあって、関東地区で開催される主要なジムカーナ大会で総合優勝を達成する程になったのですが、そんな蜜月時代は 2年程で終焉を迎え、縁があって広島の知人の元へと嫁いでいったのです。
 
次にやって来たヤツは、水冷エンジンのオートバイだったけど、それまでジムカーナ競技で殆ど実績の無い車両でした。
と言うより、実際に一般路上でさえ見かけた事も無く、あまりにもの不人気の為に新車販売されていたがとっくに生産終了になっていた程のオートバイ。
 
では、試乗さえせず、どうしてそのオートバイを買ったのか? 
答えは次回のお楽しみに ♪

 

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昔乗っていた車両 (FZ750編)

    
ヤマハXJ400で交通事故に遭遇して、それをきっかけに“事故成金”的な経緯で、新車の ヤマハXJ400Z-Eが手元に来てからというもの、大きな事故に連続して遭遇し、知人が別の事故で亡くなってしまうなど、すっかり嫌気が差していた事を前回書きました。
 
そんな境地から次に進んだ方向はと言うと ・・・・。
 
 
【 オートバイやめる! か、やめないか? 】
   
事故続き、それも決して小さな事故ではないのが続いたので、本当にこの時は悩みました。
日頃は神も仏も信仰していない のに、この時ばかりは“お祓い”か“墓参り”に行くべきかまで考えていたほどに参っていました。
 
そんな悩みの時期を一か月ほど過ごし、辿り着いた二択の結論は ・・・
 
「 オートバイをやめる 」か
「 大型バイクにする 」かの二択でした。
 
何故? 大型バイク? って思った(ツッコんだ)人は正常な反応です。
 
「400㏄であれば限界近くで走る事は難しくはないけど、大型バイクであれば限界的な走行をしなくなるに違いない。だから事故もしなくなるのでは?」と考えたのがその理由ですが、今考えてみると少し変ですね(笑)
   
で、結局、二択の中で選んだのは、「大型バイクにする」でした。
時は 1980年代半ば、オートバイブームが盛り上がり、それは750㏄クラスの車両にも飛び火した頃です。それまでのオーソドックスなツーリング志向の車両とは別に、レースに直結していく技術を盛り込んだ車両が各メーカーから相次いで発表された頃でした。
 
では、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ の中でどれを選んだのか?
 
 
【 エンジンは好き、でも、外観は嫌い 】
 
1985年、ホンダからは 先進的な水冷 V型4気筒エンジンにアルミツインスパーのフレームで登場した VFR750(RC24)、スズキからは これも独自の空油冷 並列4気筒と圧倒的軽量とレーサーレプリカ構成が特徴の GSX-R 750(GR71F)、そして ヤマハからは 画期的な 5バルブ前傾45°水冷並列4気筒エンジンを積んだ FZ750(1FM)などが相次いで登場して、各車共に独自の個性を主張していた夢の様な時でした。
   
いかにもレーサーなGSX-Rは早々に候補から外れ、VFR750 か FZ750 かで暫く悩みましたが、最後にはエンジンレイアウトと車体スタイリングが垢抜けている FZ750に決定したのでした。

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しかし、全てを気に入ってた訳ではなく、車体のカラーリングは 3車の中で最低とさえ思っていたので、自走させずに納車された FZ750は即日分解される事になったのです。
 
   
【 深夜の六甲山ツーリング専用車? 】
   
タンクからシートカウル、ホイールにフロントフォークなど、殆どの外装を外しての塗装作業の日々が続きました。
 
それと同時に、二灯式ヘッドライトに 120/90W・ハイワッテージH4バルブ(黄色)を入れ、リレーを新設してバッテリーから直接に電気を供給させ、しかも 二灯同時点灯方式からモード切替で一灯点灯を選択できる回路を新設タッチパネル式スイッチで構成するなど、走らせる前から初めての試み満載だったのです。
   
こうして、一度も走らせずに出来上がった自分だけの FZ750は、お気に入りの一台になったのです。
   
運転免許は、購入計画の開始と同時に限定解除の試験を受け、マイFZ750完成までに入手済み。
でも、完成した姿が嬉しくてうれしくて、走らせる事なく毎晩近所で撮影(当然ですが、ネガフィルムカメラで)した画像を紹介します。

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【 完成度の高い高速クルーザー、時代の波を追いかけて・・ 】
   
FZ750は、それまでの ヤマハ XJ400シリーズと較べるまでもなく、圧倒的に操縦安定性の高い車両でした。
六甲山の様な中速域での比較だけでなく、高速道路では格段の優れた安定性の高さを体験させてくれたのです。
   
当時のレース技術からのフィードバックにより、フロントは 16インチタイヤ、リアは18インチタイヤと、新しいタイヤ径の組合せが採用されていたにも関わらず、操縦安定性に一切の破綻は感じられなかった事に感心させられました。
   
1980年代は、オートバイブームが一気に高まった時期ですが、同時にタイヤの世界でも大きな変革が始まった時期です。 それが、フロントタイヤの16インチ化やラジアルタイヤの実用化でした。
   
最初は二輪ロードレース界で始まり、瞬く間に市販車の世界でも16インチのフロントタイヤ、そしてラジアルタイヤの採用と、まるで熱病のように増えていったのです。
   
その技術進歩の流れに合わせて開発されたFZ750は、フロント16インチの癖を感じさせない、安定性と操縦性がよく練り上げられた優れたオートバイだった事は間違いありません。
   
そんな時代の寵児として誕生したFZ750との“付き合い”は、夜の六甲山ツーリングを始めとして多くの想い出を残してくれたのですが、時代の波の勢いには太刀打ちできませんでした。
   
それは、1980年代末、ラジアルタイヤが市販車でも多く採用されるにつれて、タイヤの幅とホイール幅が一気に広がっていったのです。
ラジアルタイヤ以前の、バイアスタイヤに合わせて設計されたFZ750では、新しいタイヤ変革の波に乗る事が出来ず、次第に色褪せてしまったのです。
   
では! FZ750に続いて購入した車両は? ラジアルタイヤ?
いやいや、意外な選択があったのです。( 詳しくは、次回に♪ )
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昔乗っていた車両 (XJ400Z-E 編 )

 
人生で初めて手に入れた中型オートバイはヤマハXJ400。
   
そして、次に手に入れたオートバイはヤマハXJ400Z-Eでした。
名前はほんの少しの違いでも、エンジンから車体まで全く新しく設計された高性能版でしたが、それ以上に僕に“因縁”や“人生訓”を教えてくれたオートバイでした。
   
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【 購入のきっかけは ・・ 】
   
購入、というよりも手に入れたきっかけ、それは事故でした。
   
最初に購入したXJ400で街中を夕方走っていた時、小さな路地、一旦停止して左右確認したつもりで発進したところ、ブラインドになっていた所から車が向かってきているのを確認。
   
幅員4m弱の道、避ける間も無く、横手方向から減速出来ずに近づく車。
オートバイの右側面、右足めがけてスローモーションで超接近した車のライトを見て思った事 「あっ! ボルボだ」
 
次の瞬間、頭の上から地面が降ってきた。
実際には10m近く跳ばされ、頭頂部から着地したのだった。
   
そんな時、頭を巡った想いは 「僕の給料で弁償できるかなぁ? 何か月分だろう?」
放心状態のまま横たわっていると、車のドライバーがやって来てかけてくれた言葉。
   
「 Are you fine ? 」
   
え? 英語?   事故で混乱している頭で考えた。
え~と、中学校で習った返事、「 アイム ファイン. アンド ユウ? 」では違うよな~
 
幸いにも身体には大きなダメージは無く、オートバイの損傷も廃車路線程ではなかった。
そして、何よりも感心させられたのは男性のドライバーの誠意ある対応だった。
後日、示談のために料亭をセッティングして、秘書の方を通じて示された言葉は
 
「 私の運転であなたに迷惑を掛けましたが、あなたの身体に大きなダメージが無くて良かったです。 」
「 あなたのオートバイの事は、私の全責任で保障する様に保険会社へ指示しました 」
   
もし、逆の立場だったら僕は同じ言葉を言えるのだろうか。
そんな思いもしながら、XJ400は車体各部の傷から全損扱いとなり、新しく車両を購入する事になってXJ400Z-E がやって来たのです。
   
XJ400は、必要最小限の破損を修理して、競技専門車両になり、2台のXJ400生活が始まったのです。
   
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【 最初の災難 】
   
XJ400Z-Eは決して悪いオートバイではありません。
しかし、XJ400と較べると、エンジンを始めとする車体各部の仕上げ工程の少なさの目立つ車両でした。
   
XJ400では アルミ部品の金属に切削加工を加えて、その上からコーティング処理を施し、アルミの地肌と切削面との対比が美しく演出してあり、それが XJ400Z-Eでは切削も無く黒い塗料で塗りつぶされているだけと、見た目だけでなく磨き甲斐の少なさを感じたものです。
   
時代は 1980年代半ば、この車両だけに限らず、他のメーカーの車両でも、コストカットの大きな波がはっきりと表れてきた頃でした。
   
でも、新しいオモチャを手にいれた子供の様に、分解しては自家塗装して飾り立て、休日にはツーリングへと連れ出していました。

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そんなある日、朝、通勤の為に走らせていた時、宝塚市内、国道176号線の旧道、幅員6m程の片側1車線の道、対向車線を大型ダンプがセンターラインぎりぎに通り過ぎて行ったその瞬間、そのダンプの後ろを走っていた 2 tonダンプが黄線を完全に越えて僕の車線の中に!
   
救急車で運ばれた病院で精密検査の結果、打撲だけで大きな損傷は無く、午後には退院。
しかし、XJ400Z-Eは現場に放置されたまま。
購入したオートバイ屋へ連絡し、一緒に車両を回収の為に現場へ行った。
 
正面衝突を避けるため、無我夢中の操作で後輪ロックによるブレーキ痕が20m近く続き、緩やかに進路を変えて、最後は道路の左端近くでダンプの右運転席角と正面衝突し、僕はダンプとの正面衝突を避ける様に、身体だけがダンプの運転席横へと落ちていったのが見てとれた。
   
明らかに、ダンプの方の前方不注意だが、そのドライバー・造園会社社長には誠意は無く、見舞いも無いどころか、任意保険さえ入っていない始末。
その上、造園業者の社員には「オートバイが急に飛び出してきた!」と言われる始末。
   
現場検証の内容とは別に、オートバイへの風当たりの強さを感じた言葉でした。
まだ若かった僕には、怒りは湧いてきても十分な交渉術もコネも無く、泣く泣くあきらめて自費で修理する事に。
   
でも、正面衝突で大きく歪んだフレームまで修正するお金は無く、異様にキャスター角が立った車両との格闘が始まったのです。
この時、頭をよぎった言葉は、「 事故でやってきた車は何かを持っている? 」
でも、直ぐに忘れて、修理と整備の日々が続いたのです。
 
 
【 最後の災難 】

見た目には以前と変わらない程に戻った車体だったが、フレームが歪み設計値より小さくなったキャスター角はごまかせない。
試行錯誤しながら、ようやくバランスが取れるセットアップを手に入れ、六甲山を走っていたある夜。
   
中腹地点で若いM君と知り合い、六甲山頂部を縦断する道へのツーリングへ誘う。
高校生の彼は、街中の走行は慣れていても、山道の走行には慣れてなかった。
その上、街灯などの照明が一切無い、曲がりくねった道を走るのは難しいもの。
   
往路は僕がペースを落とし、ミラーで確認しながらリードした。
そして、帰り道は M君を先に走ってもらう事になった。
でも、やっぱり危なっかしい。
   
次の左のブラインドコーナーの次、直線路で前に出てあげよう。
と思った時、M君が左コーナーを曲がり切れずにセンターラインへ、同時に、コーナーの反対車線から車・430セドリックが走って来ていた。
   
瞬間、何が起きたか分からなかった。
でも、右足首に激痛が走り、僕は道路の上を痛さのあまりに転げ廻っていた。
   
遅い救急車を待ちつつ、痛みを堪えつつ観察してみれば、XJ400Z-Eの右ステップ周りが無くなっている。
車と衝突したM君は勢いで車のボンネットを超えてフロントグラスに当り、M君の乗っていたオートバイは跳ね返されて、後ろを走っていた僕にぶつかってきたのだった。
   
骨折した右足で歩くのに慣れた頃、引き上げてきたXJ400Z-Eを前にして決断したのでした。
   
「事故(成金)で得たオートバイとの縁は切るべきだ」と。
   
そこで、六甲山で知り合った人の一人で、XJ400Z-Eとエンジンなど共用部品が多く使われているオートバイ、レーサーレプリカの FZR400 に乗っていた20歳過ぎの I君に引き取ってもらう事に。
もちろん、お金は要らない。名義変更の約束だけだ。
   
これで、ようやく事故(成金)で得た車両との因縁が切れたと考えていた。
でも、実はそれは違っていた。(と思っている)

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【 苦い教訓 】
   
これは、オートバイに乗っている多くの人に聞いて欲しい。
   
オートバイは、一般路上の上では車との接触事故で大きな被害を受ける。
仮に、警察の検証や保険の判断で車側に大きな過失があったとしても、直接的に身体にダメージを受け易いのはオートバイです。
   
だから、オートバイに乗る時には、常に周りに居る車と接触や衝突をした場合、どんなダメージを受けるのか、それは簡単に治る怪我の可能性もあるけど、一生引きずる後遺症になる可能性もある事を理解して欲しい。
   
そして、事故の相手が誠意のある人で、不幸中の幸いの様に事故で大きなお金が入ったとしても、それをそのまま喜んではいけません。
そんな縁は、別な災いを招く事もあるのです。
   
実際、右ステップ周りが無くなった他に大きな傷の無いXJ400Z-Eを喜んで引き取ってくれたI君。
僕の事故から 2週間もしない早朝の神戸市内の国道2号線。
空いた広い道をFZR400で走ってきたI君の前方、横の路地から出て来た大型トレーラー車が片側2車線の道を塞いでしまい、I君は止まり切れずに側面衝突。
ほぼ即死の状態だったと聞いた。

丁度、元WGPレーサーのノリックの事故状況と似ている。
   
直接の因果関係は無いかも知れないが、僕はそこに“因縁”はあったと今も考えている。
交通事故で新車が手に入り、それで喜んでいた僕に対しての“ばち”の様なものだ。
その“因縁”で、僕は2度事故を受け、I君は最後の事故になってしまったのだ。
   
皆に覚えていて欲しい事は、事故に逢ったとしても“お金”や“得”を必要以上に求めないで、事故では必ず“損”をするのが当たり前と考えて欲しいのです。
   
これを読んでくれている全員が事故の体験をするとは思わないけど、周りでそんな人が居た時には伝えて欲しいのです。
   
もちろん、事故には遭遇しない様にして欲しいが、例え直線路を法定速度で走行していたとしても、事故は向こうからもやって来るものです。
それを十分に自覚して、日頃から事故の後の処理まで気を遣ってください。

 
   
・・・ という事で、すっかりオートバイに乗るのが嫌になり、悩みながら色々と考えて決めた事は次の機会に書きましょう。

 
   

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昔乗っていた車両 (XJ 400編)

   
最初に乗ったバイクは、多くの人と同じく“カブ”でした。
しかも、最初に手に入れたカブは郵政カブ。

それでも、それ以上に大きなバイクに乗ろうとは考えず、ひたすら車中心の生活を続けていたのですが、都会暮らしには車の必要性は低く、駐車場料金も決して少なくなく、泣く泣く車を手放して暇を持て余していたある日、「オートバイの免許を取りに行こう!」となったのでした。

【 最初から中古車狙いで・・ 】

無事に免許を取得してからは、週末毎に神戸市内のオートバイ屋さんを、郵政カブで巡る事になりました。
というのも、オートバイに興味は無かったので、どこにオートバイ屋さんがあるのか知らず、どんなオートバイが販売されているかも知らず、新車を買うつもりもなかったからです。

そんな時、(後になって知ったのですが)ヤマハの元ワークスライダーで、世界GPでも優秀な成績を残していた金谷さんのお店にソレがあったのです。
ヤマハXJ 400、新車半年落ちでとても綺麗なコンディションだったのです。

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もう即決! その場で購入を決め、その後で必要な書類の手配や支払いを済ませ、いよいよ納車の週末の事は今も忘れられません。

「 恐い! 恐い! 」
「 僕、オートバイで道路を走っている!! 」

原付とは違って、大きな車達と一緒のスピードを出して、車線の中央を走らなくてはいけない!
しかも、車と違って身体を守ってくれるものは何も無い!
   

【 ツーリングからスクール通い、そして ・・・ 】

週末毎に走るようになり、徐々に走る事に慣れ、やがては近所から離れてミニツーリング。
この頃は何もかも満足していました。

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車とは違って、オートバイの部品は全てが緻密な作りで、エンジンはアルミの地肌に綺麗な切削ポリッシュ加工面のコントラストも美しくて、「僕には、こんなに美しいバイクは造れない」といつも眺めていたものです。

やがて、帰省の脚にも使うようになった頃、ホンダに勤めていた友人がらの勧めでライディングスクールに通うようになったのです。
一般道で車より早く発進が出来るようになった、それだけで「 僕は上手!? 」と天狗になっていた僕にとっては刺激に溢れた場所でした。

当然、インストラクターの人は圧倒的に上手に乗りこなし、こっちはそうでもないから悔しくなる。
自宅近くで開催される 1日イベントから始まり、やがては 鈴鹿サーキットで開催される 1泊2日コースから、浜松や福岡でのスクールへと出向いてのスクール通いが趣味になったのです。

やがて、姫路で開催されたスクールへ意気揚揚と出向けば、ショップさんが貸切状態で、「今日は午後からジムカーナをします」と、ついにジムカーナに出会ってしまったのです。
 

【 波乱の運命(?)の XJ400 】

80年代後半、オートバイブーム全盛の頃、自宅の裏手にある山・六甲山へも脚を運ぶようになりました。
それも週末の夜間に。

時には 100以上のオートバイが集まり、朝近くまで走っている連中とは離れ、一人旧道ばかり走ったり、人気の少ない駐車場の隅で空き缶をリアタイヤで踏んだり、つぶした缶を拾ってみたりと、色々な技を磨いていたのもこの頃の事でした。

そうなると可哀相なのは XJ400で、時には“ 一日ヒトコケ ”と言える程に、技の練習で転倒が増えたのです。
あれだけ綺麗に輝いていた車体には傷が増え、でも不思議と愛着と自信も増えたのです。

そして、市街地一般道で車との大きな事故を2度ほど経験した頃には、新車時とは見違える程になってしまいました。
( 事故の過失割合は、10:0 と 8:2 で車側の大きな過失でも、遭遇すべきではありません )

練習で転倒する事を見越して、外観はボロボロになったままの XJ400でしたが、ジムカーナ大会での戦績は連勝に次ぐ連勝と大きな成果を残してくれました。

しかし、今だからはっきりと言えますが、オートバイは誰が見ても綺麗に保つべきです。
ボロボロの車体や、元々の車両名が判らない様な改造をして速く走ったとしても、さほどの価値は無いのです。
まして、競技会を開催する為に、会場の確保や企画運営を行なう立場の人の事を考えたり、その競技が広く認められて存続させる事を考えれば、ナンバー付きの公道走行車には守るべきものがあるでしょう。

壊れる度に修理や整備の経験を積み、クランクシャフトを含めてエンジンのオーバーホールさえ経験させてくれた XJ400は、同じ競技をしていた人の元へ旅立ったのです。

今まで乗ってきたオートバイの中で、今考えてみても、一番色々な体験をさせてくれたのが XJ400です。
でも、「 新車同然の XJ400、あげますよ! 」と言われても要りませんね。
僕にとって XJ400は、共に生活をして、最後には外観はボロボロになった奴こそ、一番の相棒ですから。 
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  ( 次は、新車400㏄車の購入へ!) 
 

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昔乗っていた車両(MD50編)

   
車中心の生活をしながら、初めて乗ったオートバイはカブでした。

それは 20歳の時、下宿生活を始めると同時に新聞配達のバイトも始めたので、必然的に配達用のカブ50 を貸し与えられたからだ。
当時は、50cc の原付車両はヘルメットを被る規制も無く、ノーヘル姿のままで大学への通学用に使ったりして、アクセルはいつも全開につぐ全開で走り回っていた。

いつものコーナーを全開で入って、小さなギャップにグリップを失って
そのまま生垣の中に突っ込みながら、大きな怪我もせず走り出したりの 2年が過ぎ、下宿を替わったら、そこに初めて買うバイクがあったのです。

それが、ホンダMD50、郵便局専用カブでした。

       
新しい下宿の大家さんが郵便局勤務の人で、払下げ車両を譲ってもらったのでした。
同じカブと云っても、郵便用ははるかに使い勝手の良い車両で、坂道用のパーキングブレーキがフロントブレーキレバー部に組み込まれていたり、フロントとリヤのキャリアが頑丈な造りだったが、一番の違いはフロントサスペンションでした。

フロントサスペンションは、フロントタイヤと車体とを結んでいる装置だけど、カブの場合には簡素な構造のリーディングアームがついた構造で、ブレーキを掛けるとフロント全体が背伸びする様に伸び上がるのです。

でも、MD50・郵便局専用車は、一般的なオートバイと同じ形式のテレスコピック形式、フロントフォーク全体が伸び縮みする形式で、ブレーキを掛けると車両前部が沈み込み、しっかりとブレーキを掛けるのでした。

オートバイに興味が無かったものの、サスペンション形式の違いでブレーキ性能も違ってしまう事を勉強した一台でした。

写真は、神戸に引っ越してから 4年程経った頃で、知り合いの中華料理店の店長にタダで引き取ってもらったのは、ヘルメット装着規制が始まる前年でした。
 



    
   

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乗ってきた車両 ( その0. 車編 )

   
友人から勧められて、『 昔乗っていた車両 』という題で、以前に乗っていたオートバイの事を書こうと思う。

「なぜ購入したのか?」「実際に乗ってみてどうだったか」と、良い点も悪い点も(独断&毒舌?)で書こうという企画。

      * * * * * * *

その企画のために、以前のオートバイの写真を探していたら、オートバイより以前に乗っていた車のフィルムが出てきたので紹介します。

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大学生の頃、22歳(?)の頃に乗っていた車です。
ロクに大学へも行かないで、人気も信号も無い海岸線の三ケタ国道を走る事に夢中になっていたものです。

小学生の頃から車が好きで、オートバイは嫌いで、高校三年生の最後に自動車学校に通ったものの、最初は父親のトラックばかり乗り込んでいる内に、中古で買い与えてくれたのです。

しかし、最初の車は2年程乗ったある冬の夜、雪道で遊び過ぎて飛び出してしまって全損に。
それに凝りもせず、同じ車両を探し出し、装着していた部品を全て移植して、スネカジリの身の上のままイイ気になっていた頃です。

外観は少し(?)派手ですが、エンジンや吸排気系は一切ノーマルのまま。
けれど、足回りは スタビライザーも含めてラリーアート社製の純正(?)フルキット、ダンパーは カヤバのガス封入式スポーツ用、ホイールはレイズ社製のスリーピース・ボルクⅡ、タイヤはスポーツ走行用ラジアル、シートは 英国・コルビュー社製のフルバケットGT-5とGT-7、ベルトは英国・ブリタックス社製の四点式、ハンドルはイタリア・フェレロ社製の360Φレザー3本スポーク、ホーンは当時流行りのドイツ・ベンツホーン、ライトはフランス・マーシャル社製の4灯式にハイワッテージ 黄色 H4バルブ、車内に戻って・・、オーディオセットはパイオニア・ロンサムカウボーイで スピーカー 5ユニットを 3台のアンプで駆動してアッティネーターで音場調整とイコライザーをセット、窓ガラスはフロントを除いた全てをチャコール色の専用塗料を専用機で二度塗り、ミラーはイタリア・ビタローニ社製のフラットタイプ、外装はカッティングシート貼り等々 ・・・、情熱の全てを掛けて、ローンも抱えながら、それなりに充実した日々を過ごしていたのです。

この頃から、ハンドルは無駄に切らず切り込まず、アクセルも無駄に踏み込み過ぎず、“スムーズに速く”を目標に走りつつ、トランクには自転車用空気入れを積んで時々エア調整を繰り返し、慣性ドリフトのマネ事など、一人だけで走るのが一番好きでしたね。

色々な想い出を残してくれた車でしたが、一緒に神戸に出て来て就職したものの、週末しか乗る機会が無く、当時の家賃以上に高い駐車場料金が嫌になって手放したのです。

そんな事があって暫くして、暇な時間を持て余し、嫌いだったオートバイの免許を取りに行って今日に至っているのです。

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