カテゴリー「コラム」の記事

2010年12月31日 (金)

「~かな」文化 日本の未来は?

 
いつ頃から始まったか、はっきりと憶えていないが ・・
知らない間に社会に随分と浸透してしまっている様だ。

きっと、多くの人は気付いているが、既に浸食されているのだろう。
そう言っている自分も、きっと毒されているのかも知れない。

日本独自の「~かな」文化の未来はどうなるのか?
心配だ。

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Cx136_l_3 初めてはっきりと違和感を感じたのは、TVでのインタビューだ。
オリンピックの選手が会見の場で発した言葉でだ。

「楽しめたらいいかなと思います」の言葉。

もちろん、“楽しむ”という感覚を持つのは良い事だ。
緊張して委縮するよりも、力を発揮しやすい人も多いだろう。

違和感を感じた部分は「~かな」の部分だ。
随分と曖昧でファジーな表現箇所だ。

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育成過程から遠征まで、税金を使っているからとか、
多くの人の注目を集め、あこがれの対象だから 気になるのではない。

正式な会見で、「~かな」レベルの表現方法をする人物に対して
金銭を含めたサポートをしている団体や企業、個人がいるだ!
・・という違和感だ。

TVの中を見回すと、実に多くの人が「~かな」文化が浸透している。
タレントは勿論の事、一般の方の多くが毒され浸透している。

だから、既に文化の一つとして浸透いるから問題無いと
多くの方は理解して、知らずに(遅れまいと)使っているのだろう。

しかし、自身の意図や意思を表現すべき場合に
「~かな」文化を使うのはどうだろう?

Dl065_l
   
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自身の意思を公表すべき場合でも、よほど自信が無いのか?
よほど相手からの反論が怖く感じているのだろうか?

本来、意思をはっきりと公表すべき総理や政治家たち、
よく見れば「~かな」文化愛好者のようだ。

官僚も同様だ。

先日、TV会見に出ていた 検察庁の新しいトップ・笠間治雄 検事総長は、
特捜部による不正捜査の責任を取って辞任した検事総長の後任だ。

注目の新任挨拶の場で、TVカメラを前にして出た言葉が、
「再発防止策を早急に実行することが私の使命 かな と         」

****

Ev120_l 諸外国の方と英語でビジネスをする際に配慮する事の一つ、
「may be」は信用を得られないので使わない。

日本語的発想では、「~だと思います」を表現したつもりでも、
ビジネスの場ではあやふやな表現で禁句だ。

新検事総長の発言は、Net配信ニュースや紙面を確認する限り、
「~かな」の箇所は削除した意訳がなされている。

しかし、諸外国の担当者との丁々発止のビジネスや外交の場で、
「~かな」をうまく削除して話せるだろうか? 翻訳されるだろうか?

Ev199_l もしかすると、近年世界で日本のビジネスや外交がぱっとしないのは、
この「~かな」文化の影響だろうか?

いや! そんな事はないだろう。
日本の外交力の低さは「~かな」文化発祥以前からだ。

自身の意思をはっきりと伝え、考えを明確に伝えるという
技術や意欲が無く、その必要性を感じず、恥じない文化に、
「~かな」が丁度うまくはまり込んだと言うべきだろう。

Ae052_lはっきりと 意思や決意を示す時も「~かな」表現で、 大丈夫か?
   
この国、日本

 

   

2010年12月29日 (水)

ドーム、 東京ローカル用語の氾濫だ!

   
残念な事に、マスコミ各社は本社を東京に置いているようだ。

さらに残念な事に、東京ローカルな人は日本の中心に居ると信じている。

例え全国放送の場面であっても、東京ローカルな事を全国基準として扱う。

そんな場面は氾濫しているが、その代表例の一つが「東京ドーム」だ。

何かの施設の広さや大きさを表す時に、「東京ドーム何個分」と平気で言う。

まるで、日本全国の人が「東京ドーム」を観た事があるかのようだ。

例え東京都民であっても、23区以外の人では知らない人も居るだろうに。

サッカー場とか、陸上競技用トラック、テニスコートを使えばよいのに、

諸外国に配信されている国内ニュースは、ローカル訛りまる出しだ。

   *   *  *  *

私はオートバイが好きで、ずっと昔から オートバイ雑誌を読んでいる。

しかし、残念な事にオートバイローカルな言葉を平気で使うのが一般的だ。

更に残念な事に、好き者ライダーはオートバイローカルにはまりこんでいる。

時にはローカルエリアのみで通じる言葉や表現方法に陶酔している。

   *  *  *  *

気をつけなくてはならない!

「東京ドーム」を聞く度に、自分自身の言動をチェックしなくては!

社会全般の人に分かる表現や、興味を持ってもらう表現方法をしなくては。

「東京ドーム」「東京ドーム」

いやいや! 来年辺りは 「東京スカイツリー」だろうな!
   
   
                         *  *  「東京ドーム」 探しゲーム ♪  *  *
   
                                どれが 「東京ドーム」でしょう?
          
                           (画像をカーソルを乗せると正解が分かります♪)
                                     (画像は、すべて公式サイトの画像です)
       
Namihaya_2
        Sapporo_2
      
Seibu
   
Tokyo
                   
Yahoo_2
               
            

2010年12月 9日 (木)

雑踏の中の “暴走族?”

「暴走族」、1970年代から1980年代に大きな社会問題となった現象である。
しかし、以前ほどに神経質に取り上げられない事が象徴しているように、現在では凶悪・社会犯罪性のある事象を示すのではなく、騒音対策や予算確保の手段として取り上げる傾向が増えており、まさに“死語”への道を歩んでいる最中である。

Et185_l しかし、雑踏の中には「暴走族」が居て、時に困った現象を引き起こしている。
それは、ベビーカーである。

ベビーカー(乳母車)は、赤ちゃんや幼児を乗せる三輪または四輪の乗り物で、その背後から母親や父親など大人が押して進む移動機材で、こんな説明が不要なほど多くの人は知っている事と思う。

では、どこが“暴走族”なのか?

雑踏(歩行交通社会)の中、ワガモノ顔で時に安全無視して進む例が散見されるからである。

押している本人からベビーカー先端まで約1m強、車体先端の高さは50cm程度、その部分を雑踏の中に押し込んで進む道を作っているかのような走行をよく目にする。

Et187_l 例えば交差点に差し掛かった時、一般的な乗用車の場合は安全を確保するために徐行や一旦停止をするが、あの車の場合には一旦停止という行為が出来ないようなのだ。
 
 
 
 
雑踏の中、視線よりもずっと低い高さを移動する物体を確認する事は時に困難である。
それが単なる荷物車であれば大きな問題とならないが、“人”が乗っているとなれば別問題である。

その車の運転者は、視線から低く認識され難い場所に“人”を乗せている事を忘れ、まるで世の中の人全ての視線を集めているかの如く振る舞い、ニアミスが発生しても「あなたが道を譲るのが当然!」の如くの運転をして去っていく。
これが“暴走族”と評している理由である。

P095_05_3 雑踏の人々は知っている。
例え“暴走族”であっても、運転している人にとっては
大切な“宝”を乗せているのであり、一目を置いて
尊重されるべきだという潜在的意識によって操縦され
ている事を。
自主的に道を譲らなければ、その後には叱責や非難、中傷の攻撃が待っている事を。

いいでしょう! 道は譲りましょう。

けれども心配があります。
本物の“暴走族”は、その人の人生においては大抵は一過性のもので、卒業する時が来る。
しかし、あの“暴走族”は卒業する事が無いように見えるのが心配です。

ベビーカーを降りた後でも、見えない“車”に乗せられたまま社会という雑踏の中を後ろから押されて突き進んでいるのではないだろうか?
それが、本来は家庭や社会全般で対処すべき問題でさえ学校教育の責任へと転化する現象を引き起こし、社会性への認識が薄い世代を生み続けている原因になっているのではないだろうか??

う~~ん

だとすれば、“暴走車”に引き下がっていたままでは、これからの社会を良くする事ができないように思う。

困った“暴走族”問題である。

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GRA代表:小林の紹介

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