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2022年2月23日 (水)

「してあげる」と NPO・GRA / "SHTEAGERU" and NPO-GRA


「してあげる」という言葉は、英語では「I'll do it for you」となって意志そのものだけを示すけど、日本語では支援を行なう側の優越的偽善を僕は感じてしまう。そして、それに呼応するのか、支援を受ける側に受ける事を当然の権利とする様な対応を感じてしまう。
それは、きっと、社会の中で “支援” や “貢献” が充分に共有できていない事の表われの様に思う。
  
The word "SHITEAGERU" in Japanese is "I'll do it for you" in English, indicating only the will itself, but in Japanese I feel the superior hypocrisy of those who provide support to others. At the same time, I sometimes feel a little uncomfortable with the reaction of the support recipient. There are times when I feel that receiving support is a natural right.
I think it is a sign that the meanings of "support" and "contribution" are not fully shared in society.

 

 

『 してあげる 』
   
「してあげる」という言葉への違和感を、教育系TV番組を視聴している時、改めて感じさせられてしまいました。高校生の参加者に「白杖(はくじょう)を持った視覚障害の人が、横断歩道で立ち止まっていたらどうしますか?」と問い掛けて、答えた高校生と司会者の双方で「してあげる」の言葉を当たり前の様に使っていたからです。それは、僕にとって、“支援” の意味を誤って理解している表われと思えるのです。
    
本来、人は誰にも出来る事と出来ない事があり、一人では出来ない事もあります。だから、お互いに対等な立場に立ち、他の人が出来ない事や困っている事に支援を行なうのが当然で、それで社会が成り立っているもの。だから、支援を「行なう」とか「しない」「できない」という判断や意識はあっても、「してあげる」という意識は有り得ないと僕は考えます。
そんな「してあげる」意識が蔓延すると、当然の行為が “恩着せがましい” 存在になり、支援を受ける側にある “選択の権利” の無視に繋がり、 支援を受けた事で必要以上に “迷惑をかけた” という意識を抱いてしまうのです。
    
ただ、現実には、高校生の回答の例に限らず、個人を外観上識別が容易な障害の有無や性差・ジェンダー、年齢や肌の色、職業の有無や給与額の多寡、歩き方や喋り方で安易に識別・区別して、お互いに対等な立場として捉えていない場面は数多くあります。そして、識別が可能な障害だけで識別し、何か良い事をしなければという道徳的な教義の実践の場を探すのは決して悪い事ではないでしょうが、時として支援の “押し売り” になる危険性がある事は認識すべきでしょう。
    
更に、支援を受ける側に対応についてですが、支援を受ける事を当然の権利だと考える人がいる危険性も見逃せません。支援を行なうのが行政や一定の収益が確保された団体で、仕事として行なっているのであれば別ですが、仕事でもなく収益が全く無い個人の支援でも受けるのが当然の権利と考えるのは誤りです。 社会の中では人は基本的に誰でも対等であり、ただ能力に応じた責任があるという認識が共有されれば、「してあげる」という過ちを招く言葉は使われないでしょうし、支援を受ける事を引け目に感じさせる風潮も無くなるでしょう。

 

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『 NPO・GRA 』
    
この「してあげる」という言葉に刺激されて、僕が主宰しているGRAという NPO組織で感じてきた事を思い出すはめになりました。長年、感じて考え続けた事は二つあります。一つは、非営利で収益目的ではない活動を通じて、僕は「してあげる」という意識は無かったかという自己反省で、二つ目は 開催イベントに参加した人々の対応はどうだったのだろうかという事です。
    
とは言え、GRAは オートバイで走る楽しさを広めつつ、社会の中で果たすべき事について考える人を増やし、それを通じて社会貢献を果たすのが目的に活動しているNPOだから、生活に困窮している人々の支援をしているNPOとは大きく異なります。言い換えると「楽しく走りたいなら、社会の中での役割も考えて行動する人」を増やすのが目的で、参加者は運転免許を持ちオートバイを所有して、社会的にも自立した人々ばかりなので、「してあげる」という殆ど無かったと思います。
   
しかし、走る楽しさを覚えた人の中には、社会の中での役割を考えず、楽しむ事をもっと貪欲に追及するが増えた事は事実でした。そして、その様な人に限って参加回数が多いベテランで、知識や技術も高く、参加回数の少ない人達から一目を置かれる人達であった事は困った事態を多く招きました。イベント運営や法人運営などに必要な業務を対等に負担し合う事を避け、時には個人の利益だけを主張する様になり、そういう行為を目にしても誰も注意をしない雰囲気が熟成されていったからです。
このGRAという小さな社会の中でさえ負うべき責任を対等に果たさない行為は、単にGRAが掲げる活動目標に反していただけでなく、実社会の中でライダーとオートバイに対する評価を高める事に繋がらないと僕は考えています。
    
今だからこそ、「社会の中で対等に果たすべき責任」を視点に見つめる余裕はありますが、年間で 30イベント以上の開催を続けていた頃は、運営そのものに力を注ぐので一杯で、意図しない形に熟成された雰囲気を修正するには充分な能力が無かった事が大きな反省点となりました。
    
以上、高校生が回答した「してあげる」という視点とは異なっている様に見えるかも知れませんが、どちらも人間が主役の社会の中での事で、対等な一人ひとりが果たすべき役割という視点が欠けている点が共通しています。



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