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2019年1月19日 (土)

モラル・コラム用草稿文・『デートドライブ 黒尾峠 』(後編)

      
先日依頼をしました、新コラム『 マナーより、ルールより、モラルを 』(仮称)用の文章・「 デートドライブ、黒尾峠での出来事」の 「前編」に対してご意見や指摘を下さった方々へ、この場を借りてお礼の気持ちを伝えます。

ありがとうございました。
どうぞ、今後共によろしくお願いします。

今回は、「 後編 」の草稿文章を公開しますので、改めて誤字や脱字、校正などの指摘をお願いします。


* * * 以下、「 後編 」 * * *

 
『 心なき者 』

誰でも好奇心はある。
特に、非日常的な出来事に対しては異常な程に興味が湧くものだ。
ただ、非日常的な場面に面した時にこそ“人間性”が見えてくる。
   
野次馬達は遠巻きに眺め、パトカーが到着しても解決が進まない様子を見て、苛立ちまぎれに思っていた事を口に出したのだろう。
少なくとも10分以上見物していて、困っている様子を確認していたのなら、僕の代わりに怪我して意識の無い人を運んでよい筈だった。
でも、当時の僕は若く、そんな事を考える余裕は一切無かった。

「 トランクを壊すより、もっと良い方法があるはず 」

考え抜いて、リアウィンドウの下、リアシートの後のリアシャルフボードを室内側から壊して、そこからトランクの中へ手を伸ばしてキーを取り戻した。
   
病院までの道をパトカー先導で走り抜き、負傷した人と同じ血液型だったので献血を申し出た彼女を自宅まで送り届け、僕も自宅に帰り、長い午後の一日は終わった。Img2_web1000

   
『 忘れられない、母の一言 』

翌日、車の掃除をした。
多少の血は覚悟していたけど、リアシートのマット上には厚さ 2㎝ほどの血溜まりが固まり、外して水洗いしたリアシートからは、さほど汚れていないように見えたが、いくら洗っても血が流れ出てきた。出血量は 2L以上あったのだろう。
   
そして、そんな様子を傍で観ていた母に、昨日あった事を一つひとつ説明していた時、急に母が吐き捨てるように言った言葉が今でも忘れられない。

  「 同県人だろ、だなんて ・・・!! 」

母は、戦時中は鳥取の日本赤十字病院に看護婦として勤務していて、鳥取大震災や空襲も経験したから、怪我人や血には動じないが、何もしようとせずに非難めいた事を言うだけの人には苦く悔しい想いを沢山してきたのだろう。
 
しかし、当時の僕にはなぜ母がそう言ったのか、正しく理解は出来なかった。
後日、警察から表彰とリアシェルフボードの弁済代わりに表彰金を受け、即日、母に報告した時にも、母からは褒め言葉は一切無かった。
   
よほど腹に据えかねる思いがあるのだろう。
決して無口ではないけど、何か大切な事を伝えたいという時になればなる程に、閉じ籠ったように口数が減ってしまう人だった。
 

遺伝子を引き継いだ僕は、その時の母の思いを長い間理解は出来なかった。
でも、人生での経験を重ねて、今ならその気持ちが良く分かる。

 


『 モラルとは育てるもの 』

“モラル”とは、“ 他の人に対して、精神的に、肉体的に、物質的に、そして金銭的に、損害リスクを与えない事 ”だ。
   
それは、画一的に教えられる道徳ではなく、宗教的な教義でもなく、一人ひとりが社会生活の中で考えて実践し、その中で育むべきもの。
そして同時に、大人であれば社会の“モラル”も育む責任を負っていると自覚すべきだ。
   
ただ、野次馬の様に、何もせず非難をするだけの人は、責任を果たそうとしている人の心を傷つけ挫く存在だし、生死にかかわる人が居ても、責任を負う事もしない無責任の人でしかない。
だから、そういうモラルに反する行為はしないように!と、自分自身の教訓にして生きていくのは決して悪くはない。
しかし、それだけでは足りない。
   
そもそも、「他の人の迷惑になる事はしない」のは当たり前の事。
しかし、そう思っていても常に出来るとは限らない事は誰もが自覚している事だ。思っていても出来ていない場合や、気付かず出来ていない場合には、周りの人が注意や指摘をしてサポートするのも当たり前の事だ。
まして、それが人の生死に関する事、“モラル”に反する事であれば、何らかの注意を促したり指摘をする事は、社会のモラルを育てる事に他ならないのだ。
他の人に注意を促さず、見て見ぬふりをするのであれば、それも“ モラル ”に反していると言える。
   
ただ、それは簡単に出来るものではない。
事故の現場で、他人の生死や損害を無視した“モラル”に反した言動を目にしたとしても、その時に注意を促すのは容易な事ではないからだ。
だから、小さな事から注意や指摘を始めて、他の人への伝え方を磨いてこそ、本当に大切な場面で、他の人の“モラル”を呼び起こせる能力が身につくものだ。
 
実は、そういう過程を通じていった時に、自分自身の中の“モラル”を育て上げていく事に繋がっている事も実感できるものだ。
40年遅れになったけど、あの時、今の僕なら、停車していた人、そしてパトカーで来た警官の人たちに、こう言っただろう。
   
  「 この人は出血がひどく、一刻も早く病院へ搬送する必要があります 」
  「 この人の命のため、あなた車で運んでもらえませんか 」

Img3_web1000

   
 
『 GRA発足の目的には 』

ジムカーナという競技が好きで、後悔から自らその競技を楽しむ場を作るため、GRAという団体を発足させましたが、発足させた意図の中に“参加者個人が果たすべき責任”を一緒に共有する事を浸透させる思いも含めていました。
   
当時、オートバイに乗る事は社会悪の一つである様に言われ、実際、新規会場を借り受けるべく交渉に赴いた際、「危ない」「騒音が大きい」の言葉が断りの常套句として返って来たものです。
オートバイは危険なモノ、オートバイはうるさいモノ、オートバイ乗りは危ない運転をする、等の認識が先行して、活動が単なる趣味や遊びではなく、社会的に価値がある事を訴えても、賛同してもらえないのです。
   
社会にそういう認識を与えてしまったのは、オートバイに乗るライダー自身の振る舞いが原因である事は多くのライダーは認識しているにも関わらず、自身が社会に迷惑を掛けない事だけに注意を払い、友人のライダーや他のライダーがモラルに反して、騒音をまき散らす改造や運転をしたり、無理なすり抜けや追い越しなど、他者にリスクを与える運転をしている場面に遭遇しても、一切、注意を促す行為をしてこなかった事も原因だと言えるからです。
   
GRAを発足させた理由は、自分自身がいつまでもオートバイを楽しみたいのなら、周囲の人の理解を深める努力を惜しまず、その環境を壊す行為があれば注意を促すのは当然の事と捉える考えや行動を拡げる事にもありました。
   
しかし、私自身、その狙いを適切な対民で伝える能力に欠けていた為、過去のGRAの活動では、他者の振る舞いに注意を払い、必要な時には適切な言葉で注意を促す人はさほど輩出できなかったと感じています。
   
だからこそ、その経験を積んだ今こそ、より多くの人・ライダーへ人としてのモラルを伝え、環境と人を育む活動に専心していきたいと考えています。
   
                                        NPO法人GRA 代表理事   小林 裕之


    
    

    

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