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2013年12月の投稿

リザルト(結果)は、大切ではありません

 
オートバイ競技に限らず、競技のリザルト(結果)だけが大きく注目され、後世に残されています。

しかし、競技結果だけに注目し、それを収集したとしても、それは競技の本質を示すものではなく、ましてその競技に参加している多くの人々が紡ぎあげている“文化”を表現するものではありません。

仮に結果だけに注目するならば、歴史の文化的・地政学的な背景を無視して、年号を暗記しただけで歴史を語るに等しい愚かな行為と言えるでしょう。


【 人生の価値と“奨学飴制度” 】

全ての競技はその世界で順位を決める形式で行なわれますが、競技結果によって参加した人の人生を評価する事はできません。

仮に一番になったとしても人生の価値が一番ではありません。
真に価値があるのは、自身が自ら努力して能力を伸ばす事であり、そういう人を客観的に評価して認識する事だと思います。

それこそが正当な評価であり、その評価を客観的に行なう事こそが、競技者だけに限らず全ての人の人生にとって欠かせない事だと思います。

GRAでは、そういう観点から、タイム測定結果で順位を求めるだけでなく、“奨学飴制度”を設けて、真に努力して伸びた人を皆で表彰する文化を育成してきました。

● 奨学飴制度とは
・ ・ ・
http://gra-npo.org/dictionary/Sa_line.html#syougakuameseido


【 ジムカーナコースの文化価値 】

大半の競技では、参加者の技量を定量的に捉えるため、競技舞台(会場)は一定の形式に定められています。例えば、陸上競技のトラックやサッカー場、スキージャンプ、水泳競技や体操競技などが代表的な例です。

それらとは異なり、競技場(フィールド)の設定が競技毎に変更される競技もあります。
例えば、アルペンスキーのスラローム競技やインドアクライミングなどもそうですが、GRAが行なっている“ジムカーナ競技”もタイム測定の旅にコース設定を変えるのが基本です。

それは、同じオートバイ競技であっても、ロードレースが一定のコース(サーキット)を複数台が一緒に何周もして順位を競うのと異なり、毎回新しいコースを一台ずつ走行してタイムで競う事に理由があります。

つまり、ジムカーナ競技とは、走り込んだ回数によって結果を残すのではなく、そのコースの特性を読み自身の創造力を重ねる事で結果を残す競技なのです。

それ故に、ジムカーナコースは毎回類似したコースを設定するのではなく、競技者の理解と創造性を最大限に試す場でなくてはならないと私達は考えています。

どうぞ、コース図から私達の文化的側面にも注目して下さい。
以下の コース図一覧をチェック願います。(1996年度まで完成)

● コース図一覧 ・・
http://gra-npo.org/document/course_table.html

● 優れたコースの紹介 (コース設計担当:瀬津君の傑作の一品♪)
・ ・ ・ ・
http://gra-npo.org/data/course/1996/PG_19961124_c.html

 
 
 

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京都への自転車旅、 ミスコースと貴重な出会い

 
先週末、京都の友人の見舞いを兼ねて、神戸から自転車道を利用して京都へ行った失敗談を書きますね。

前もって色々と調べて、大阪からは自転車道を利用して京都へ行けるのを確認して、行ったついでに京都市内のお世話になっているオートバイ販売店も訪ねるという計画を立てたのです。

大阪からは、古くから都(現在の京都)と瀬戸内をつないでいた大切な交通・交易路
である大きな川(淀川と呼びます)があり、その淀川沿いの河川敷に自転車道が整備してあるので、これを利用しない手は無い!

「 ふむ、ふむ 淀川沿いにずっと走れば京都か 」
「 ん? 自転車道の終点近くから友人の所まで遠くないな ♪ 」

と、いつもの様にラフな予定を立て、途中は色々と散策しながら、焦らず色んな事を楽しみながら ・・・ と考えつつ、寒風が吹く JR大阪駅近くから自転車の旅を始めたのでした。

* * * * * * * * *

それほど多くの自転車道は知りませんが、この淀川沿いの自転車道、それも大阪府内の道はあまり楽しめない道になっている様子ですね。
路面の舗装状態は他の大きく変わらないのですが、二つの点で楽しさをスポイルしているのです。

一つは、市街地側からオートバイなどが進入できないようにするため、外部道路と接続している所に設置してある自転車専用の制限杭(2本のボールで自転車のみ通過が可能/三輪自転車の通過は無理)が設置してあって、その箇所を通過する際には殆ど停車させないといけないので、旅のリズムは崩れてしまいますね。

二つ目は河川敷の無機質・殺風景な管理状態によるものです。

Cimg2454a

写真の風景は大阪府内の自転車道のものですが、実はここだけが自転車道設置当時を残している様子です。

丁度、この場所で知り合った近所に住む年輩の男性との話が盛り上り、釣竿の作り方から日本鹿の駆除と林野庁の植林の話題まで30分近く色んな事を教えてもらいました。

その男性の話では、写真の様な雑木林は河川敷に多くのあったけど、行政の指示によって次から次へと伐採されてしまったとの事でした。

僕がこの場所に立ち止まって写真を撮ったのは、ここだけ様々な野鳥の鳴き声が多く聞かれたからです。
大きく傾いた木々からも判るように、川側から常に強い風が吹き付ける環境の中、野鳥たちが安心して休める場所が少なくなっているのです。

もし、以前と同じく、こんな風景が自転車道に多く残っていれば、自転車の旅がもっと楽しめる以外に、河川周辺地域に吹く風が優しくなるでしょうね。

* * * * * * * * *

とは云え、前に進まなくては!♪

順調に道を走り、行政の指示によって迂回路を使いつつ、順調に旅を進めたのでした。
当然、他にも自転車で利用している人も少なくなく、ロードバイクでヘルメット&サングラス姿の本格風ライダーとも多くすれ違います。
その度に頭を少し下げつつ会釈挨拶したのですが、5人に1人以上からは挨拶が返ってきて良かったですね ♪

中には、ベルを鳴らして返礼してくれる人も居て、心を和ませてもらいましたが、どんどんと京都に近づいている筈!なのに、人家や商業施設の影が少なくなっていくではないですか。

でも、先ほど追い抜いた本格的ロードバイク装備のライダーを抜かしたばかりだから(?)、まだまだ健脚を見せなくてはなりません。(♪)
そんな想いのまま 8km ほど走った後で、地名を確認してミスコースをしている事が分かったのです。

Cimg2456a

停車して Googleマップを開けば、京都とは少し似て全然違う都市・京田辺市まで来てしまったのです。
走ってきた道をマップで確認すると、淀川に合流している川(木津川)沿いに走っていて、当然 木津川沿いに走れば奈良に近づけるものの京都へは行けません。

気落ちした気持ちをなだめつつ、向かい風になってしまった道を戻るのは、ホント! 脚に力が入りません。
追い抜く人(ライダー)はとても速く、すれ違う人は誰もが皆元気に見えました。ハイ!

本来の道に戻り、そのまま京都へと向かったものの、京都市に入り終点手前 約 5kmの地点で日没の為に見舞いは断念です。
自転車道には照明は全く無く、自転車の灯火レベルでの走行はとても危険ですから、近くの駅まで移動しての帰宅となったのでした。

* * * * * * * * *

この旅はまだ終わっていませんでした。

自宅近くの 駅前で自転車を組んでいる最中に、歩きタバコをしている男性(同年輩/少し派手な格好の人)に注意をして始まったのです。

一般に、注意されると無視する人が 約 5割強、おとなしく従う(フリも)人が 2割、反抗する人も 約 2割ほどで、残り 1割の人は 「ありがとう!」と感謝の気持ちを示してくれるのですが、その人は違いました。

一見、恐そうな風体ですが、その眼は人好きそうな他人に優しく&厳しい輝きに満ちていて、何故か タバコの話から喧嘩の武勇伝や昔サーキット(鈴鹿)を走っていた事、ゴルフの話から自転車販売店の話まで、延々と話が 30近く盛り上ったのでした。

忘年会の一次会が終って二次会の会場へ向かっている最中だと言ってたのに、「 あっちはエエねん 」と言いつつ僕に合わせつつ話題を広げてくれて、やがて二次会場へと別れを告げました。

旅の途中で釣竿の話などを聴かせてくれた人とは、写真を撮るために停まっていなければ出会わず、タバコの人とは ミスコースしていなければ出会っていなかったでしょう。

目的通りに間違えず無事に旅を終えるのも悪くはありませんが、やっぱり! 人との出会いがあってこそ楽しいですね。
人生と同じだと思っています。

次週も(こそ?)、友人を見舞えるよう、自転車で旅に出ます。
   

   
   

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“東京目線” で処理される震災対応

   
大震災の数日後、ようやく電気が復旧した部屋の中、
真冬に暖房も無く、目一杯に服を重ね着して、久し振りに観たTV。
そして、そのTV番組で交わされていた言葉に僕は寒気を覚えた。

「 もし、同じ地震が東京で起きたら ・ ・ ・ 」という言葉に。

1995年 1月
未だ、被災した街の中では、押し潰れたビルの中の多くの亡骸さえ救い出せず、無事だった人も水や食べ物に日々困っている最中なのに ・・・ 、

「 東京はそんなに大切か!? 」と
 

【 “東京目線”による報道の罪 】

それは、NHKの特別番組だった。
知識人や専門家が数名集まって意見を出し合う討論形式のもので、始まりこそ阪神淡路大震災の現状の報告であったが、やがては、同じ規模の地震が東京で発生する可能性や、万が一発生した場合の話題へと移っていった。

「 どんでもない話だ! 」

「 東京が行政関連機関の集積地である事は理解しているし、経済や文化の中心地だと分かっているけれど、それがどうした? 」
「 被災をして亡くなった人が居て、その方の家族の人々が悲嘆に暮れ、今なお数多くの方々が明日の生活さえ見えない不安な状況に直面しているというのに。 」

「 そんなに、東京だけが大切なのか? 」
「 人の命や生活は、暮らしている場所が異なっても、全てが等しく大切なもの 」
「 そして、国家行政は国民の一人ひとりの守り、マスコミは全国民を対象にする責任がある筈だ 」

日本を代表するマスコミが、その時点で最も必要な事柄を客観的に捉えず、突然の災害に困惑し、家族や友人を亡くした悲嘆にくれ、日々の生活に困窮しているというのに、“東京”という 一地方だけに通じる話題へとすり替える事はあってはならない事だ。
   

【 繰り返される “東京目線”報道 】

“東京目線”報道は、災害時だけではなく、日常的に繰り返されている。

NHKでは、様々な製作番組の中で、広さを表す尺度に「東京ドーム」や「山の手線」、そして「東京23区」などを平気で使っている。
それらの尺度は 東京または関東地区に居住か勤務している人々に通じる表現であり、日本全国を対象に番組の製作報道する責任ある立場、ましてNHKであればやってはならない事である。

それなのに、大震災という非常事態であっても、“東京目線”は繰り返される。

2011年3月、東北地方太平洋沖地震では、人的被害が僅かな関東地方の被害状況だけを先行して報道を繰り返し、東京都内での飲料水中の放射性物質濃度の軽微な変化に報道の熱を上げたが、それは単に取材報道の容易さからと言うより、より深刻な人的被害を受け、なお健康被害が懸念される放射線濃度の環境に置かれていた人々の心情を無視した行為だ。

今年11月8日、台風30号で甚大な被害を受けたフィリピンの報道でも同様だ。
11月18日放送のNHK番組「クローズアップ現代」では、番組前半では被災状況を詳細に報道を行なったが、やがて地球温暖化の進行で日本も同様な台風被害を受ける可能性へと話題が移り、番組後半はCGシミュレーショんを交えて「東京が同様な台風に襲われると・・」と、“東京目線”による東京地方の為の報道へとすり替わっていった。

「 なぜ、東京なのだ? 」

日本に住む多くのフィリピン出身の方々の心情を考えると、一層いたたまれない。
    

【 “東京目線”で進む行政 】

“東京目線”で処理しているのはマスコミだけではない。行政も同様だ。

「帰宅困難者対策の為の法案」や「電気事業法改正案」が進められているのは、2011年3月の震災以降、基盤の脆弱な東京地区で多くの帰宅が困難な方が発生し、計画停電により様々な生活上の不便さを受けたのが東京を中心とする地区だったから。

仮に、1995年の震災の時の様に、東京から遠く離れた地区での大災害で、東京電力が一切の被害を受けずに電力送信を行なっていたなら、決して今回の様に法案が進んでいなかった可能性が高い事は無視してはならない。

現在もなお、防潮堤の建設、高台移住、産業構成と就業問題、そして除染や廃棄物処理場など、実際に大きな課題に直面している地区や人々の為の行政の行為と云えば、復興庁の設置や特別税の設定はあったものの、効果的に対処が進んでいる様子は無いし、それを中央行政府が検証して発表する様子もない。

つまり、東京に関わる事柄は神経質に取り扱うが、東京という地域から離れた遠くの地域の事になると表面的な対応でお茶を濁していると言える。

別な言い方をすれば、東京近辺に住む人々の声には敏感に反応して、そうではない地域の人々の声には鈍感であるのだ。
これは、沖縄問題と表現されている事案の原因であり、隣国の中国や韓国などとの領土紛争の底流に流れる要因にも繋がっていると言える。
 
 
   

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